在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

居た堪れない

『いい歳して』っていう言葉があるが、それは『その歳ぐらいなら経験しているから、考えたらわかるでしょう』って意味なのか、『そのぐらいの歳の人たちなら、こうだよ』という平均的なことを意味しているのか…色んな意図で、使われるんやろう。

後者の意であれば、平均的な物差しで、人を図っているのではないかと見受けられるので、そういった平均化を求められる意はどうなのかと思う。

前者の意であれば、経験しているだろうことから、どう振る舞うべきなのかなど、自分を自分で形成できるのにしないのね。ということなのだろうか。

まあ、最初から深く入ってしまうと、話しが脱線したままになるので、この辺りでやめておくのが、いつも通りになのだが。

相手を見るときに、その人の様々な情報や言葉にできない感じる部分から、その相手と自分がどうなのかを図っている。

聖人君子ではないので、好き嫌いがあり、排他的な部分を持っているため、嫌いなものとの関わりを最小限にしたかったり、できれば関わりを絶ちたいと思うこともある。

が、その自分が嫌いと思う人は、存在し続けるので、許していくことが必要になる。

とはいえ、どーなんそれ?って思うことが立て続けに起こると、もう本当に関わりを絶ちたいと思う。

そういう時に、いい歳してという台詞が出てくる。
そんなことも考えられないのか。
バカにしているわけではなく、そんなことを教えなければいけないのか。
教えて素直に聞くならいいが、大半の人は素直に聞くことはない。
言うことを聞けという話しではなく、そういう事を受け止めて、受け入れてみたら?と思うのだ。

素直に聞かない人に対して、いい歳してと言うのかもしれないな。
いい歳して考えたらわかることをしない、できない、知らないだろうに、教えても聞かないし、受け止めもしないなら、言わないから、身をもって味わえばいい。って『いい歳して』のあとに続くような気がしなくもない。
あくまで個人的な考えなので異論はあるだろうが、『いい歳して』のあとには、残念だということが含まれている。
残念というのは、居た堪れないということの残念。

具体的にどういうことがあって、そう思うのかは省略するが、遊びに来ているのなら来なくていいのに。
こっちは遊びでやっているわけでないんだよな…
今回は、大事に至らなかったが、いつか事故に遭う。
あってからでは遅いだろうと、伝えようとしても聞かない。
それなら、事故をもたらさないでくれ。