在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

見えるということ

人は情報のほとんど7〜8割を視覚から得ている。

その視覚から作られることで制限をかけたり、弊害をもたらせたりしていることがわかった。

暗闇体験を受けて、そういうことを感じた。

長い時間ではなかったことや、初めから見えない環境ではないので、あくまで一時的なことかも知れないが、視覚以外の感覚が鋭くなり、暗闇に居ながら自分の中で世界を作り出している感覚になった。

闇はどこまでも広がっているようなのに、肌に感じる感覚で、広いところか狭いところなのか、わかってくる。

音であったり、温度、風の動きなど、普段ならさほど気にもしないことなのに、それを感じている自分がいることに気がついた。
そして、それを感じようと感覚がフル稼働していることがわかる。

が、視覚の情報を処理しなくていいので、感覚が研ぎ澄まされる。

人の声の位置が頼りになったり、誘導されることの安心感であったり、介助されることの有難さが物凄く伝わった。

見えることで、そういった大切なことを全て捨てていると思うと見えないほうがいいと感じた。

本当に必要なことは、見えないことにたくさんあるかも知れない。