在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

責任と無責任

よく『やったらいい』と言われることがあるがら、その言葉の意味は、『あなたがやるのはいいが、私たちは関知しない』ということも含んでいることに気がつく。

『やろうや』ということは、一緒にやっていくということの意味を含んでいる。

そういう言葉の一つ一つに人の心情が、人の気持ちが含まれていることを、言った本人はわかっていない。

『やったらいい』の言葉に限らず、人の言葉ひとつをどういう意味で言っているかを考えるというより、感じとってしまう自分が時々しんどくはなるのだが。

この『やったらいい』という言葉に関していうと、無責任な言葉である。
もしくは、棚ぼた感が大きく出ている。

地域活性というものは、そういう『やったらいい』ではなく、『やろうや』という事でなければ、一過性のものになることが多い。
だが、『やろうや』と言えるような環境があるならば、地域活性が上手くできると思う。

夢や幻想で地域が活性しないことを、人は変わらないことを身を呈してかんじてきた。
現実を見てこそ、同じように立ち上がるからこそ、活性していく。
それは、そこに参加する人たちに責任が芽生えるから。
やる限りは、それなりの結果を出していこうとするだろう。
遊び半分でやろうやとは言えない環境が本気の活性に繋がる。

では、どうしたら『やろうや』になるのか?
自分ごとにしたらいいのだが、自分ごとになると目を背ける癖があるので、その癖に対して、毎回気付かせていく必要があるが、果たしてそれは何年掛かるのやら?

もっとも、やり方次第では短期間で出来るのだろうが…その短期間でやる方法を取るのは怖い。
それに対して責任を持てないから。

かと言って無責任なところで話しは進まない。

単純なのだが、簡単ではない。
責任というのは、そういうことなのだろうか。