在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

タダより怖いものはない

見返りを求めてしているわけではないが、それを仇のように返されたり、軽々しく思われているように感じると非常に虚しくなる。

これは、自分の心の問題だけなのだろうかと深々と考え、客観的に見ようとしているが、感情が直ぐに出てしまうことで見れずにいる。

虚しいことが続くと、もうその対象に対しては何もしないようになってくる。

何かをしても、何かをしなくても、変わりなく。
いや、何かをした時は変わらないのではなく、何かをしない時よりひどい状態になることが多い。

当然のことではない。
そこにはその人の思いや気持ち、色んなことが含まれている。
そういう思いや気持ちを、受け取る姿勢というのがある。

『ありがとう』とは、『有難い』と書く。
有ることが難しい。
ごく稀なことなのだ。

言葉で『ありがとう』と言われても(もちろん言わないよりかはいいが)、心からそう思っているのだろうか?
それ以前に、反射的に言っているだけではないのか?
『何かをもらったり、してもらったら、ありがとうって言うんだよ』と誰かに教育されて、その意味も分からず反射的に使っていることもあるだろう。


心から思って、ありがとうと言うのであれば、相手に対してどうするのかが、分からないわけはない。
有難いと思うことに、それをもたらす相手に、することは『ありがとう』という事ではなく、受け取る姿勢と受け取った後の態度が重要になる。

タダ(無償の提供)より、怖いものはないのは、その無償の提供の受け取り方や、受け取った後の相手に対する態度で、自分自身を判断されてしまうから。

見返りを求めているわけではないが、受け取る姿勢や受け取った後の態度というのが、相手を思いやっているかに繋がるのではないだろうか。