多幸感
幸せではなく、気持ちがいいという表現が近いと言えよう、多幸感。
これは脳内にある物質が分泌されることで、気持ちのいい状態になる。
調べると色々と出てくるが、一番言われるのが薬である。
多幸感を得たいがために、そのようなことを続けていく。
その一時的な多幸感は、人を堕落させていく。
アタマは働かないことにより、堕落していく。
カラダは動かないことにより、衰退していく。
アタマも、カラダも使わなければ、腐り果てる。
訓練、鍛錬、修練すれば、望む形のことを得られるのだが、それは容易ではない。
継続がチカラなりと言われるのも、こういうことからなのである。
できないことをやってみると、できないのは当たり前だが、『なぜ?』できるのか、『なぜ?』できないのかなど、考えることで、出来ようとしていく。
出来ようとしていくという表現は言葉としては、おかしいのだが。
やる、やり続けるというのは、そういうことで、それはかなり精神力が必要となってくる。
では、精神力があるやつだけが出来るのだろうか?
楽をすることと、楽しむことの違いをしっかりと認識して生きていくと見えている世界は変わるのかも知れない。