在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

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久しぶりに会う友達と、久しぶりにクラブへ行った。

3軒ハシゴした。

初めの2軒は人が多すぎて、踊るどころではなかった。
何であんなにギュウギュウ詰めになってまでも居ようと思うのか不思議だった。

最後の1軒は、たまたまそのクラブの看板?(今日の催し内容が書いてある)を見ていた人に、どんな感じか聞いた。

客層は若いと聞いた。
とにかく話しかけた人は友達待ちで、腹ごしらえしてから行くとのことで、お供させてもらうことにした。

おでんバーとやらに行き、声をかけた人たちと親睦して、クラブへ向かった。

ビールから日本酒からテキーラと、アルコールで気持ちのいい感じでゲートに向かう。
ドンドンと音が洩れていて、早くも身体が反応する。

低音が身体を揺さぶり、次第にアルコールの酔いから音の酔いに変わっていく。
クラブの空気感が好き。
熱気に包まれ、何かに取り憑かれたように、踊り狂う人たち。
踊る時に何を考えているのだろうか?

バネ仕掛けのおもちゃになった自分は、すべてを忘れ、何からか解放されようとする。
音に合わせて、身体を動かしているだけなのに、内なる何かが弾ける。

田舎というところに来て、慣れようとしてきたこと、気の合う友達に出会えず、いつも気を遣ってきたのだろう。
鬱積されたものが、止めどなく溢れ、音が大きすぎることをいいことに、叫んでいた。

何者でもない何かになりたい気分だった。
休憩がてら適度に友達を探した。
友達と一緒に踊っても良かったのだが、もう、止まらない。

お供した人たちは、見当たらなかった。
薄暗いなか、フラッシュと様々な光線が飛び交い、顔を判別できない。
そんな中でも友達を見つけることができて良かったと思った。

一人でもいいのだが、時折話せた方がなお良い。

もう何時間踊ったのだろうか。
3フロアあったのに、1フロアは閉まっていた。
すべてを出し尽くし、クタクタになっていることを、クラブから出て気がつく。

大勢の人たちが都会に居て、そのエネルギーを持て余している。
ぶつける先がないのか、そのエネルギーをうまく使えない地方。

異端児を受け入れる度量がいる。
稼ぐことができる環境を提供することがいる。
都会に人が集中することと、地方が過疎になっていくことに関連があるのかないのかはわからないが、地方が望めばできることだと思った。

本気で望んでいないのだろう。
あの溢れでてる莫大なエネルギーを受け入れることも、受け止めることも、流れることも、それなりにチカラが必要だろう。
少し流れた水をずっと流し続ける。
増水して、周りが水害に合うことを覚悟できるなら、そこに大河はできるのか。

出し切ったエネルギーは、また新しいエネルギーを生み出す。