在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

決めること

それは、ふと空いた期間に訪れた誘(いざ)ないであった。
インドには誘なわれないと行けないなんてことも言われていたりするほど、不思議な場所である。
約6年前に誘なわれ、インドの凄さに負けて日本に帰ってきた。
そのあと、復活するまでに時間がかかった。
インド病とでも言えるような病いから。


そしてまた、ふと空いた期間があった訳ではないが、インドではない場所からの誘ないが訪れた。
人生において、そのような期間を持てることがありがたい。

さて日本を離れ、発展途上と言われる国の生活をこの目で見て、肌に感じてみると、どれだけ日本が恵まれ、守られているのかなどがわかる。

地方創生とやらの仕事に関わっている上で、発展途上と言われる国を見ることが非常に有効的だと思った。

どのように有効なのかと言えば、発展途上と言われる国の生活には、そこに『生きる人々のチカラ』がみなぎっている。
どんな方法でも生きて行こうと、生活しようと必死なのだ。

守られることもなく、恵まれていることもなく(ただ彼らは、それを妬みもせず、悔やみもしていないように感じた)、むしろ全てを生活の糧にしているような底力のようなものを感じた。

不衛生であろうが、そこに住んで生活すれば馴染み、耐性が付き、平気になる(必ずとは言わない)。
規則、法律がなくても、自分たちでルールを作り出し、守りながら共存している(全てとは言わない)。

それは買い物などの貨幣交換において一番感じることができた。
わかりやすいのは買い物で、いくらか分からない物(値札、値段が表記されていない物)を買う場合にどうするのか。
一つは、その物の値段を聞いて、その金額を払う。
もう一つは、値段を聞いたのち、交渉してその金額を払う。

この二つの違いは、物の価値を相手に決めてもらうか、自分で決めるのかの違い。
もちろん、どちらの方法も納得しているからその金額を払うのだろうが、本当に納得しているのだろうか。

日本と発展途上と言われる国々では、物価が違い、貨幣価値も違うので、日本から遊びに行っているような状況では、高いなどと感じないのかも知れない。
だが、そこで生活している人たちが、本当にその金額(お店の人に提示された金額)で購入しているのだろうか。
それを観光地価格として、認めて購入しているのであれば良い。
しかし、そんなことまで考えて旅行するのかと思う。

結局、何が言いたいのかと言えば、自分で何かと『決めることをしてきていないことに気がつかない』のかと言うこと。
それは買い物などの貨幣交換以外の場においても言えるのではないだろうか。

人生とは『自己責任』でしかない。
『他責』は一切ないのである。

他が決めたことに、『賛同した』のも自分で決めたことである。

それを人のせいにしようとするから、訳のわからないことになる。
『聞いていない』、『知らない』などはあり得ない。
聞かない自分が居て、知らない自分が居るだけだ。

『わからない』けど、『難しいから』などと知ろうとしない自分が居て、それでも生活できる世界や社会に守られて生きていることにも気がつかず、チカラを付けようとせず生きている(?)。

そんなことが通用しない世界、社会に行くと否が応でも学ぶ。
『自分で決めること』に対する一種のリハビリのようなものだと思った。

脱線し過ぎたが、そのような『自分で決めること』が生きるチカラとして、そこに住む人たちに、そこの地に凄まじく渦巻いている。
若者も、高齢者も。
お金がないから、生きられないのではない。

『何がなんでも、生きてやる!』と生きようとしていないから、お金がかかるし、お金があっても生きるのが難しいのだ。

日本のような国では、お金はその身を守ってもらうために、そして生存としての欲求でなく、快楽という欲求に使っているにすぎない。
生活水準が高いことも同じと言えよう。

地に這って生きていくことをしたくないから、それをお金で解決しようとする。
また、お金で解決出来てしまう。

地方はお金がない。仕事も都市部のようにたくさんない。
それでも今まで生活できるように人々が助け合い、その土地に根ざし、その地で這いつくばって生きてきた。
それを捨て続けてきたために、今の現状があるのではないかと思う。

人、特に若者が少ないから、隙間はたくさんある。
その隙間に産業は産まれる。
人が求めていることをしながら、自分のしたいことができる環境が地方にはある。

発展途上国よりも酷い状況のところもたくさんある。
それでも日本という恵まれ、守られる国にいることは、失敗してもいい環境があると思える。

試すことができる環境が、この国にはたくさんある。
そこで自分が何をして、どう生きていくのかは自分が決めること。

まずは地に這って生きていってやろうと決めるだけ。

そう。決めること。