在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

仕方がないから…

たまたま、そばを通り、杖が当たったから。
それがなければ、誘導とかしなかっただろう。
他に誰かがするのであれば、すればいい。
だが率先して補助する人は居なかった。

列車が来たので、最後まで座っていた。
他の誰かが視覚障害者の補助をするだろうと思っていた。
誰もしなかった。
補助しなくても良かったのかもしれない。
でも、腕を持って補助した。

偽善な自分を感じたまま。
その補助は必要なかったかもしれない。
誰かがするのであれば、、、
そんな考えが、偽善だと思う。

例え、どんなことを思い、考え、言ったとしても、それを気持ち良く率先してやらなければ、やっていないのと同じなんだと…
厳格なのかも知れないが、この事だけでなく全てにおいて『仕方なくやっている』のであれば、『仕方なくやった結果』が待っているような気がする。

地域に対して、ことを起こすこともそうなのだろうと、何をやっても、褒めても、認めてもらうことなくとも、やっている自分に奢らずに。

仕方がないのではない。
その時、思った情熱、夢を持ち続け。
やり始めて批判が出ようとも、誰かに認められなくても、それを選んだ自分に、それをやっていく自分に、仕方ないからやったんだろと自分で言うような思いを持たない。
ことを成し得るには。

それを気付かせてくれた。