在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

近況

昔、スピ系といわれることに、どっぷりとハマっていた時期があった。

 

友人のおかげで、その世界から抜け出すことができた。

スピ系の世界がすべて駄目だとは思わないが、その世界と現実が乖離し現実感がなくなると危ないそうだ。

 

見えないこと、わからないことを含めて、この世界は成り立っている。

『なぜ』と思うことばかりで、その因果を辿ってもわからないことばかり。

因果は単一ではなく、複雑に絡み合っている。

 

想定外ということがあるのは、そのためである。

時に、自分の身に起きたことから、振り返り思っていたことと間反対のことで納得せざる得ないこともある。

 

次々と起こる出来事に、順応する時間が足りないところに、時間はとめどなく流れ、生活をしていくことに変わりなく、そのため頭も、体も、心も付いていけなくなり崩壊した。

 

崩壊しても、進めることは変わりなく、気がつけば何もかもがなくなっていた。

それでよかったのか、わるかったのかなどを考えるのは無意味で、そんなくだらないことを考えていると崩壊しっぱなしでしかない。

 

道を歩いていて、石に躓いて顔面強打をして、泣いてうずくまりたくても、そんな間もない。

歩きながら、そのことを前向きに捕らえ進んでいく。

 

スピ系なことだなーと思う。

 

精神世界と現実世界は常に繋がっているが、直結ではないのかもしれない。

時々曲がっていたり、そのつながりに間があるような気がする。

だから、心も体も頭もどの部分に依存することなく、それぞれの役割を果たすようにしておくことが大切なのかもしれない。

 

何がどうなるのか、わからないのが人生。

 

よく例えるのが、ロールプレイングゲームで全部わかっていたら楽しめないということ。

わからないから、失敗しても目的に向かって進めていく。

 

勇者が魔王を倒すという明確な目的があるわけではなく、自分で目的を決めて進めて行けば、何かしらの答えが出る。

間違った目的を持ってしまった場合は、死ぬこともあるが大体は教会となるところからやり直すことになる。

 

さて、リスタートを切るために準備を整えよう。