在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

余裕がある

定かではないことである

 

ただ、私は思う。

人に余裕があり、自分の人生を自分で歩いているのであれば、人に優しくすることができ、怒りに満ち溢れることもないのだろうと。

 

人を憂うと書いて、優と読む。

憂うことは、悩んだり、心配したりすること。

それを他人にできるから、優しいと言われるのかも知れない。

 

少しずつ余裕が出てきた、今日この頃。

ふと、目にする光景に対して、思うことが以前とは違うし、そのような光景を気に留めたことがなかった。

 

みんな、そうであればいいのにと思うが、余裕がないから、そうなれないのだろう。

なぜ、余裕がないのか?

それは持ち物が多かったり、時間がなかったり、身の丈にあっていないことに気がつかず、人のせいにしていることが多いからではないかと思う。

 

本当にそれは必要なのか?

あなたにとって重要なのか?

なければ、どうなのか?

あれば、どうなのか?

 

色んな視点から見て、考えて削ぎ落とせば、余裕が生まれる。

 

その余裕があればこそ、新しいことを運んでくれるのではないだろうか。

 

そう思えば、少し余裕を作ることを始めてみれるのかも知れない。