在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

心の体幹

最近、人とのお付き合いが少し上達したように思う

それはただ、自分の心のあり方が変わっただけなのかも知れない

どちらにしろ、目の前の状況に良かったと感じる

 

仲の良い友だちと話している中で、自分にどのような制限を設けているのか、どのような指令を送っているのかという話になった

 

もっと自分自身に素直にあっていい

どうしようとも、自分が選んだ結果として今あり、そして今この瞬間も選択をし続けている

どちらが先かという話は省く

気持ちのいいことを、楽しいことを、心地よきことを、選んでいく習性をつけておけば、自分が心地よいと感じる空間を作っていける

 

それは物質的なことだけではなく、例えば人間関係においても、それは言える

「嫌よ、嫌よも好きのうち」というが、これは対象を認識しているから嫌いという感情が出てくるのであって、認識しない、もしくは気にならない状態であれば、そこに使う感情も何もない

 

それに対して、他人からどう思われようが、自分の問題ではない

「課題の切り分け」だと言えよう

他人、他者からどう思われようが、「どうだっていい」

だが、そこに社会性ということが絡んでくるから、自己中心的な考えだけではよくない

が、他がどう思っているのかを考えて生きていく必要はない

この微妙な感じが、とてもいい

安定しているようで、不安定

安全なようで、危険

常に調和を図っていく

 

その調和を取ることに、初めは意識することや力が必要だろうが、徐々になれていくだろう

まるで、体幹を鍛えるように

 

心の体幹

 

だからアタマで考えることではなく、心が心地よいと感じるほうを選んでいくことをすればよい

 

アタマで考えることが、そこまでない

考えなくていいので、意識をすることを意識する

やり続けてみよう

 

常に自分が実験体だ