世界を作り出している
僕は、たくさんの人の中で生きている。
その僕は、僕の知らない僕。
僕の中にもたくさんの人たちが生きている。
その人たちの全てを知ることはない。
その人たちが、僕の中でどう生きているのか知ることはない。
たくさんの世界があり、たくさんの人たちが、たくさんの人たちの中で生きている。
たくさんの中で生きている僕は、たくさんの中のために生きているわけではない。
僕は、僕のために生きている。
他人に期待、希望、願いを持っても、その他人が期待に応えることも、希望に沿うことも、願いを叶えることがあるかも知れないがない。
その人たちは、その人たちの生きる世界がある。
時折、自分の世界の中に登場はするけれど、自分の世界の住人になることはない。
たとえ、一生を伴にするとしても。
見えない部分、認識できない部分で繋がっていたとしても、自分の代わりに生きることもなく、自分のために生きることもない。
そんな世界が複雑に絡み合い、社会は成り立っている。
社会を作っているのは、自分であり、他の人たちである。
他人の何かを背負わなくていい。
無責任ではない。
自分のことに対して、責任を持てばいい。
寂しいことではない。
他人の何かである前に、自分の何かをはっきりさせ、生きていくこと。
ただただ、そんな他人だけではなく、様々な存在が自分の世界を作っていることを決して忘れてはいけない。
だからこそ、自分の世界がどうあるのかを認識して、自分の世界を住みよい世界に変えるチカラを持っていることに気がつき、選んでいく。
様々なエネルギーをどう使うのかは、自分が決めること。
よく言う他人がどうだから、自分もこうすると言う話しは、究極『その人が死ぬのであれば、自分も死ぬのか?』と聞かれたら『死ぬ』と言うことと同じである。