結合する
社会不適合者などと自分を決め付けていた日々を懐かしく思う。
自分の波長や思想、考え方、生き方など、とにかく根っこの部分で社会と合わないと思うことがあり、それから自分を適合できない、適合しないものだと思っていた。
社会っていったい何なのだろうか?
明確に答えを出来る人は少ないのかもしれない。
社会とは西欧で「結合する」という意味を持つ、人間の結合としての「共同体」として意味している。
そういう語源から発展していき、様々な場面で使われている。
「共同体」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
家族、地域、学校、会社など所属しているところや、友だちや何とか仲間や、何かしらの集まりもある。
それぞれが個別でありながら、何かを共にしている場が共同体ということなのだろう。
その枠組みが大きいのか、小さいのかの違いや何を共にしているのかなどの違いだけだ。
社会があるからこそ、人は人らしく生きている。
そこに不適合ということはない。
合う、合わないはあるが、社会から逸脱するということは難しい。
人と関わる社会から脱せれたとしても、人以外の生き物などからの社会からは抜けられない。
死後の世界はわからないけど、死んだとしてもなんらかしらあるのかも知れない。
逃げることの出来ない社会ではなく、社会の中で生きている自分が居て、社会は自分が生きるためにある場でもあろう。
そういった社会の一員であることを認識し、社会の一員として生きていくことができるのが大人だろう。
個人的な目的は違えど学校や会社などは、その社会の目的に所属している。
その社会を利用したり、活用したりする人たちを含めていくと枠がどんどん広がっていく。
だから、社会から何かしらを求められていて、求められている何かを与え、社会から与えてもらっている。
その何かしらをお金という道具を使い交換している。
お金という道具だけではないが、何かを求められ、何かを与えられている。
そこに参加することで生きている。
社会が自分のために存在している場であるからこそ、自分の社会を変えていくことは可能だ。
いきなり大枠の世界という社会を変えるとかは難しいかもしれないが、小さな枠組みなら変えられる。
必ずとは言えないが、ほぼ変えることは可能だ。
社会を作り出しているのは「人」であり、「人」との「つながり」。
付き合う人を変えることで、変わっていく。
いきなりがらりと変わることはなくとも、徐々に変わっていく。
もちろん、付き合う人を変えるということは、自分も変わってしまう。
社会を変えることは、自分も変わること。
自分を変えると社会も変わる。
どちらからでもいい。
結局は変えるからこそ、変わっていくから。
ただ漠然と「社会(自分)を変える」と言っても、どう変えていくのか目標がなければ変えることは難しくなる。
どのような社会(自分)がいいのかを明確にする。
目標であるから、制限はない。
自分に制限を掛けてしまっていては、今と変わりない。
付き合う人だけではなく、自分をどういう風に持っていくかを考え、考えたように運んでいくことが大切だ。
今までやってこなかったことをやってみることや、行かなかったところへ出かけてみたり、参加しなかったことに参加したり、自分から話しかけてみたりしてみることで、小さな変化が生じる。
その小さな変化の集まりが大きくなっていく。
パラレルワールドが実際にあるのか知らないが、無意識で選んでいることを意識的に変えていくことで、違う道になっていく。
無意識の選択が今までであれば、意識的に選択することは新たな展開が開かれる可能性が生まれる。
新たな展開が社会(自分)を変えていく。
常に新しい展開が出てくる。
新しい展開に対して、人はどう対処、対応していいのかがわからない。
今までと違うことにどうしていいのか、答えを持っていない。
初めての展開である。
今までのように決まりきった形ではないから、時間が掛かることもあれば、お金が掛かることもある。
新しい展開のために、疲労困憊になることもある。
エネルギーを大幅に消費する。
だが、生まれてから今までずっとそうやって新しいことに挑戦し、学び、覚えやってきた。
意識せずに出来るまで、ずっとやってきた。
意識しなくていいことが増えれば増えるほど、他にエネルギーを使えるから。
だが、どうだろうか?
他にエネルギーを使えるようになり、そのエネルギーを有効活用できているだろうか?
エネルギーをどう使うかは個人の自由であるが、その使ったエネルギーが社会をグルグルと回り自分に戻ってくるとなれば、どのような形で戻ってきて欲しいのかなどを考えながら使った方がいいと思う。
某アーティストが災害救済のためのチャリティーコンサートをしている映像を見て、この記事を書こうと思った。
アーティストのように、人を集め、人から対価をもらい、人に与えることができる存在であったり、そのアーティストが好きで、その場に行き、間接的ではあるが救済という人に与えること場に参加という形で存在したり、何かの役に立っている。
社会にそれぞれが担う役割がある。
その役割は決められたものではなく、自分がそれを選んだことによって決まったことになる。
その役割をしたくてしているのではないが、その役割を担うことを選んだのは自分である。
だから、その役割を変えることは自分がその役を選ばなければいい。
どんな役割を担いたいのかは、自分が決めていること。
それが自分が生きている社会であり、世界である。
どんな社会で、どんな世界がいいのかは、結合する人たちによって成されている。