思い出は美化されていく
年を重ねるごとに人を好きになることが難しく感じる。
それは経験が邪魔をするからではないだろうか。
まだ未熟な頃は、小さなことに愛おしさを感じ、人を好きになっていた気がする。
人を好きになるということを教えてもらっていないのに、好きになり恋愛が始まる。
恋が終わる頃、新しい恋が始まろうとしていたが、どんどんとそういう気持ちになる期間が空いて、いつのまにか恋ってどんな気持ちかもわからなくなった。
もしかしたら食べ物なのかもなどと勘違いする始末。
そんなときに思い出に触れてしまい、「嗚呼、あの時、、、」などと
思うこともある。
なぜ、あの時別れてしまったのだろうと嘆いたところで仕方ない。
仕方がないなら、どっぷり浸ってしまえと思い出に浸ってみると、美しい思い出しか出てこない。
そして、連絡を取ろうと試みるものの、連絡を取る手段を絶っている自分に拍手を送る。
浸ることしか出来ない美しい思い出は、細切れで。
それに浸っていても、時間が戻るわけもなく、恋愛感覚すら戻ってこないことを知り、なかったことのように目を覚ます。
思い出は自然と胸の奥底にしまわれていく。
目覚めて思うことは、もう一度そのようなことになる人と巡り合えたとしても、恋はしないのだろう。
恋愛というロウソクに火が点ることはないのだろう。
なぜなら、もうそこにロウソクはないから。
あれだけ長かったロウソクも今では蝋のあとがあるだけ。
だから恋愛なんて催しが、楽しみがあったのだろうぐらいにしておく。
恋愛がなくても生きていける。
ただ、周りの人たちが結婚をし、子どもができ、違いをまざまざと見てしまったときに、劣等感を感じることがある。
まだしたことのない経験について、語れることはない。
語ったとしても重みのない、単なる妄想でしかない。
だから劣等感を感じる必要もない。
比べるというおろかな行為で自分を見失うことや、過去に縛られて今を十分に生きられないことよりも、目の前にあることを十分に楽しみ、機会が訪れれば掴み取ってやるぐらいで日々を過ごしていく方が心地よい。
同じ瞬間は、二度とやってこない。
だからこそ、今を思いっきり楽しめばいい。