在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

『ない』ということ

禅問答でも、哲学でもないことなのだが

 

『ある』『ない』の話しを考えていると『ない』という状態は『ない』のである。

 

『ない』という言葉は、『ある』ということを打ち消す言葉なので、『ある』ということが前提になる。

 

本当にないのであれば、意識することもないし、思うこともなく、ないことをあらわすことは難しい。

 

と、こんなことを考えているとアタマの中がパニックになるわけだが、それを理解しようと、しようとしていくとわかってくる。

 

『ある』という状態を1、『ない』という状態を0としたら、0から1の間(小数点)は0と認識しているだけ。

0と認識しているということ自体があるのだが、、、

 

あるのであれば、それを1に近づけることが出来るのではないか、出来ないかもしれないが。

ありとあらゆるパターンが世の中に存在していて、その選択によって1に近づくことも、0に近づき認識しなくなることもある。

この話しのほとんどが量子力学の話になる。

 

観測するまで、物事は決定されておらず、どちらともいえる状態であると。

馬鹿げた話しと思うか、どうかはあなた次第だが、過去に流行ったスピリチュアルな話しも強ち間違いではない。

次元上昇(アセンション)などと言っていたが、もう時代は次元上昇に向かっている。

世紀末やら2012年マヤ暦やら、オカルトが自分の周りで起こりどっぷりハマった記憶はまだ新しく感じる。

だが、着実にそれは進んでいると感じる。

どのような手段で近づいているかの違いしかないと見える。

スピリチュアルだろうが、物理学だろうが、何だろうが、今までの根底を覆すようなことが徐々にわかってきている。

 

地球が丸いと思われなかった時代や、地球を中心に他の惑星が回っているなど考えられなかった時代があったように、量子力学もそれにあたるのだろう。

 

誰が言ったのか、どこで見たのか覚えていないが、【人が思う(想像する)ことは全て叶えられる】という言葉を覚えている。

いつかタイムマシーンも、どこでもドアも、何でも出来ている時が来ると思うと、思うこと全てを良いように思い続けたらいい。

 

こうしたい、ああしたいと思うことを叶えるも、叶えないも自分次第だから。

『ない』ことは何もない。

『ある』のであれば、自分が良いと思うように『ある』と思い、行動すればいいだけなので、『ない』というと否定してしまい、可能性を低くしてしまう。

 

良くも悪くも、人の脳は言葉や思いに敏感だから。

人生は思いのまま。