在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

平行世界を体験する

この世の中は、幾多にも世界が分かれていると言われている。

人は主観で世界を捉えるため、その世界を同時に観ることはできない。

 

しかし、気づくことはできる。

 

今まである世界とは違う世界にいることがある。

職場、家庭、友だちなどとの関係性から感じることができる。

その場にいる人たちに見えている自分と、それとは場にいる人たちに見えている自分は果たして同じなのだろうか?

 

自分という存在が同じだと思い込んでいるだけかも知れない。

 

自分に関わる人同士が繋がりなく、全く印象が違えば、それぞれの場、空間に存在している自分は違ってくる。

 

どんな自分であっても、自分でしかないのだが、それを知っている(もしくは思っている)のは本人だけだ。

 

場から場に移動しているからこそ、連続していると思い込んでいるが、場に移動してたのちに別の自分が存在するのかも知れない。

それはホラーでも何でもなく、可能性の一つであり、確証得がたい仮説である。

シュレディンガーの猫とはそういうことを実験している。

 

観測した時点で、確定(固定)されてしまうから。

観測以前は、測りようがない(あるのかも知れないが)。

 

それだけではなく、その場や関わる人によって引き出される(引き出る、引き出す)自分が違っている。

それがいつもの自分と違えば、違うほど、平行世界に居るような気がして止まない。

 

病んでいるのではなく、ただ感じることがある(常に感じているわけではない)だけ。

自己同一性ということがあるが、別の人格になってしまうとそれは精神的に問題があり、社会で生きていく上で支障をきたす恐れがあるが、そうではない。

 

扉に手をかけ、少し覗いた程度である。

 

そういった感覚、体験が何の役に立つのかは分からないが、そういうことを強く感じた日だった。