在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

ポジティブって…

『ポジティブ(前向き)でストイック(厳しい)ですよね』と言われ

『んー、これが自然体なんだけどな…』と心の中で思う。

 

思ってみれば、確かに前向きな捉え方をしている。

すべてのことを瞬時に、そう捉えられることができるわけではない。

 

自分を取り囲むすべての事象は、ただ現れるだけ。

その事象に対して、自分が反応しているということ。

 

どんなに自分が思おうが、【その事象は変わらない】。

 

その事象に対して【どう反応するのか】

そして、それは自分が【どうかできることなのか】などを知っておけば、【前向きに捉える】ことができる。

 

ということをわかっていても、すぐにできるわけではないので、いつも【クセ】のように反応してしまう。

 

【いつものように反応してしまった】と気がつけるか?が大切である。

自分で自分の【クセ】に気づき、気づいたその時から直していく。

そうやって、意識から無意識に落としていく。

 

と、書きかけて、時間が経ち気づいたことがある。

 

【前向き】に捉えることをし続けることと合わせて、していることがある。

 

【0ではない可能性に向かっている】こと。

同じようなことではあるが、少し違うのは【起きる前のことに対して、自分で結果を決めてしまわない】こと。

それが【0ではない可能性に向かっている】ことになる。

 

起きる前から、あーだ、こーだと結果を決めて進んで、やっぱり、、、と思うのは愚の骨頂だ。

望んだ結果になった上に、やっぱりなどと嘆いたり、悔やんだりしたりしてどうする?

まだ結果は出ていない。

最大限の努力ができる。

最大限に動ける。

ある程度、予測のつく事かもしれないが、予測がつくのなら【予測を超えるようなことをしてみる】。

 

 諦めるとは、明らかに観ること。

明らかに観た上で最善、最大限のやれるべきこと、それらを超えてできることをやってみればいい。

 

その為に、前を向いている。

【事象】に対して【どう思おう】が【どう捉えよう】が構わない。

起きる前のことは、まだわからないことなのだから、いいように考えれば(捉えれば、想像すれば)いい。

某漫画であった『諦めたら試合終了』という言葉もそういうことだと思う。

 

人生の中で試合終了は、生が終わるということ。

生が終わらないのならば、楽しめばいい。

 

たった一度きりの人生。

楽しもうよ。