在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

幾度なく、繰り返して

自分の感覚に『はっ!』と気付かされることがある。

 

人と話していて、『こんな良いところあるのか』、『可愛いところあるな』、『しっかりしているな』など、対する相手に良いところを見つけて、感心している自分に『はっ!』となった。

 

対する相手が気分的なことやその時の状態もあり、自分の思っているようなことを

 

相手にそういうところを見つけた時に、何故いつもそうやって良いところを見るようにせず、悪いところばかり見てしまうのかと考えた。

 

考えても、わからなかったので調べてみると、『自分自身を許せていない』、『相手に見える部分は自分の投影』などが書いてあった。

 

自分自身を許せていないか…

 

許せていないというより、気持ちや時間、生活などに余裕がなかったことや自分自身の価値観や考えを他人や相手に押し付けていた。

自分の物差しで相手を測っていた。

 

そうして何があるのか?

他人は他人

自分は自分

自分の世界に他人のすることを持ち込み、それについて何か思っても、どうしようもなく、何の進展もなく、何の変化もないことなどがわかった。

 

自分がどう思おうが、どうしようが、それぞれがそれぞれの人生を歩み、存在しているということは、それが許されているということ。

自分が良し悪しを判断することではない。

 

それぞれが好きにしたらいい。

自分がしたことの結果が自分の世界に反映される。

 

自分の世界は自分で創造している(クリエイティビティ)。

何かモノ(例えば作品など)を創ることだけが創造(クリエイト)ではないことに気がついた。

 

自分の人生こそ、創り出していくことなのだと思った。

人との出会い、人との付き合い、何を選び、どんな反応をして、自分が気持ちのいい世界、なりたい自分で『今』を生きていく。

 

そうすることで創り出している。

それが意識的であろうが、無意識であろうが。

 

『他人のいいところばかり見て、付き合いあっていけば、きっと人生はいい人たちが増えていくのだろう』と、昔思っていたことを思い出した。

 

それを忘れていて、今そうしていけよと誰か(おそらく自分自身)に言われているのだろう。

 

 

少し、余裕が出た時に、そんなことをふと思い出した。

同じことを幾度となく、繰り返しているけれど、『創造すること』とはどういうことなのかを改めて考えさせられた日であった。