在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

過去記事を振り返って

はてな運営さんから1年前に書いた記事を振り返りませんか?

とあったので『情報とは』という記事を読み返してみた。

 

ここ最近、書いたバブルボムゲームに繋がっている記事であった。

 

情報を流すことに関して、人から得た情報は流すなということと、その『情報源(ソース)』は開示するものではないということを書いた。

 

某掲示板で、『情報源(ソース)は?』ということを聞いているのを見たりするが、その情報が信用するに値するのかを見定めるために情報源の開示は必要になる。

だが、そのようなことではなく、その情報を得たことによって不利益を被ることがあったり、得をすることがあったりしたりする場合、情報源を明かすことで、情報源に被害が発生することもあるため、情報源は不明にしておくべきだと思っている。

 

情報源の立場であれば『そこは言うなよ』となり情報を振りまく人には『あなたには情報を提供しない』となる。

 

バブルボムゲームの時は、情報源であったため自分のところで爆発してしまったという話しであるが、その話しの件も情報源を明かしていなければ、爆弾は膨らみまくり、いい形で爆発していたと推測する。

 

情報源を明かされたお陰で、爆発して被害を被ったけど、自分にとってどうでもいいことに関して火を付けないことがいいと体験した。

 

情報とは何かの答えを書いてなかったが、情報とはエネルギーだと思う。

武器だとも思う。

情報が人という形を作っているのかもとも思う。

 

情報社会と言われる世界、ところ狭しと情報が溢れているからこそ、情報の取捨選択、情報の見極めなどの能力は重要で、不必要な情報は持たないことが大切である。