在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

自分と向き合う

さて、『やる』ということが、しっかりと浮き彫りになった時に、『やらない』を選択する自分と向き合うことになる。

 

【どうもこういう精神的な話しは胡散臭く聞こえるので嫌なのだが…】

 

はっきり言うと、(胡散臭い)精神的な話しは現実から離れていきやすい。

何故なら、この話しの重要なこととして【想像する】ということがある。

想像はアタマの中でどんどん進むのだが、それから実際に行動しないと、どんどん現実から離れていくため、訳のわからない世界に入り込んで、神やら仏やら何やらのせいにしたり、自分自身が自分自身に暗示をかけたり、、、どうしようもなくなる。

 

そうなりたい人は、お帰りください。

 

現実に何か(自分自身)と戦い(向き合い)、勝ち続けたい(克ち続けたい)人に対しての話し。

 

前回の記事のことは、わかったけど…

でもと二の足を踏むことがある。

特にその『やる』ことが苦手であったり、嫌いであったり、『やりたくない』という気持ちが強い時、二の足を踏む。

 

この『やる』ということだけになった時『やらない』という選択をすることを【メンタルブロック】や【固定概念(少し違うけど)】と一般的に呼んでいる。

 

『やらない』と選択してしまうことを『やる』となると怖じ気付いてしまい、全然気分が高まらない、乗らないとなる。

 

そりゃそうだ。

そうなる理由の多くは、小さな頃や今までに刻まれた(自分で刻んだ)傷が深く、古傷のようにその時に嫌な記憶として甦り、『やめておこう』→『やらない』となる。

 

それをどうやって『やる』、『やろう』と変えていくか。

 

ここからが大切なことだ。

【但し、全員が同じとは言えないため、自己責任でお願いする。】

 

幾つかの方法があるものの基本的には 、

・自分が何に怖がり、やらないのかを自分と【分かち合うこと】

・怖がる自分、やらない自分を【受け入れること】
・怖がる自分、やらない自分を【許すこと】

 

まず今、在る自分をしっかりと見ること。

その自分に評価をしてはいけない。

ただただ、在る自分を見る。

そして、自分自身が自分自身の全てを受け入れ、許すこと。

例えば、小さな子どもが挑んだ(やった)時に転んで傷を負っているが、転んだこと、上手くできなかったことを見るのではなく、それに挑んだこと(やった)ことを見てあげること。

 

その一歩進んだ自分を、やった自分を【認めること】

 

できるというのは、やるってことを続けた結果、『やり続ける』ことになる。

 

話しは変わるが、アルコール依存症とかアルコール中毒の人が、アルコールを断つために何をするのか。

それはアルコールをやめること。

『今日一日、アルコールを摂取しなかったな』と毎日、摂取しなかったなことを反芻するだけ。

と何かで言っていた。

事実か定かではないが、そうやって一つできること、できたことを認めることが大切。

自分自身に自分が『やったなー、今日はここまでできるようになった』と軌跡を見ること、『やる』と行動したことを認めることで、『やりたくない』から『やれば、できる』に変えていく。

 

まだ『やらない』と選択してしまう自分を否定してはいけない。それも自分であるから。

とは言え、否定はしないが『やる』ように【ともに歩むこと】が大切だ。

今まで、放置してきたり、目を背けてきたりしてきた自分としっかり手を取り、一人ではない(自分には自分がついている)ことを認識する。

 

何事も、自分に最後の最後までついてきてくれるのも、ともに居るのは自分自身だ。

 

この手の話しは、色んな自己啓発やコミュニケーションの書籍に書いてある。

正直、昔から自己啓発やコミュニケーションの書籍以前に宗教の教えとかにもある。

 

色んなところに生きるための助言が隠されている。

この話しが真理とは言わないが、真理というものがあるのであれば、至って単純明解な話で様々なことに応用できることであろう。

そして、わからない人にはわからないのだろう。