在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

これ、幸いなこと

今まで自己紹介をしていないし、できる限り特定出来ないようにしてきたが、多少なり公開しておかないと、文章が書きにくいので、公開したいと思う。

しかし、どこまで公開しようかと迷うところである。

どうでもいいかも知れないが、見てくれている人の中には気になる人もいるかも知れないので。

私は関西圏に生息する、アラフォーの男性である。

仕事は一般的にいう会社員(サラリーマン)で業種は販売業になる。
仕事や生活の上で役立てたいと心理学の勉強をしている。

ちょうど、東日本大震災の時期からスピリチュアルブームが訪れ、ずっとハマって、陰謀論などにもハマりつつあったが脱出した。

元々、哲学や心理学に興味があったため、生きることについて考えたり、自分自身の体験から見えること、感じることが多い。
それをブログに書き留めている。

男性、女性は性別が違うように、感じることも思うことも違いがある。
ブログではできる限り普遍的な話しを心がけている。

仕事だけでなく人と関わることが多いため、いっぱい悩んできた。
今でも悩むことはあるが、それは自分にとっていい機会だと認識している。

最近では、こうしようと心がけることを仕事で実践することが多く、その反応から自分がどういう言動だったのか、相手にどう与えたのかなども見るようになった。

使えるモノゴトは全て使い、成長の糧にしている。
使うという表現が良くないだけで、生きるということは、常に本番であり、常に実践できる場である。
よく『トライ&エラー』というが、やらなければ(トライしなければ)、失敗など(エラー)はない。

だが、生きるということにおいて、間違いや失敗はない。
望んだ結果にならなかったという事実があるだけで、その事実から別の方法などを試せる。

もちろん、やってはいけない失敗もあるが、死を自ら選ばない限りは、何度も挑戦できる。
もし失敗、間違いというのがあるのであれば、死を自ら選ぶということだろう。

また、死を自ら選びたくなった場合は、死んだと思いやってみることも大切だ。

生きている上での問題や何かしらのほとんどが自分で何とでもできることばかりで、その自分で何とでもできることを他のせいにしていることが多い。
他責にして何かが変わるのであればいいのだが、他責にしたところで、同じことは繰り返される。
その他責にしたいことなどから、逃げたり、それを投げたり、諦めたりすると、気がつくように姿、形を変え、わかりやすくするために厳しくなっていく。
その機会をサンダーボルト(落雷)と呼んでいる。

人生を振り返ることは少ないが、今思い出せば若かれし頃に色んな年長者が、こう言ったことを言っていたことを思い出す。

 

私のブログを読んで何かを感じて、試してみて変化があれば幸いだと思う。