在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

違いを認める

『もうこちらから連絡しない』と決めた相手に連絡をするか、しないのかという選択する出来事があった。

【連絡をしなければ】
連絡をしなかったことで、この先、お互いに面倒なことになるのだろう。
また相手から連絡があるのを待つことになる。

【連絡をすれば】
連絡をしないと決めたことに対する清算が待っている(和解になるのか、再び決裂するのか不明)。
清算の先のことまで考えられない。

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待つということは自分の流れではなくなるので、連絡をすることを選んだ。
一度、言いたいことを言う機会と思えば、そういうきっかけにすぎないと思うことにした。

連絡をし会って話した結果、どうでもなかった。
ただ、住む世界、舞台などが違うことがわかった。

彼には守るべき世界があり、それは一人の世界ではない。
その部分は、はっきりと違いを感じた。

もう定期的に会って、遊ぶことも、言葉を交わすことも少なくなるのだろうな。
そんな気がした。
別に彼が悪いわけではない。

彼の世界観が見えないというか、世界観を知りたいとは思わなかった。
魅力がないのだ。
それはお互いの違いからくるものだろう。

大勢の人は安定を求める。
だが、安定とは何なのだろうか?(一般的な解釈は求めていない)

自分自身は不安定な世界で生きていると認識しているので、ありとあらゆる発想や予測、予想をして、今の言動を変えていく。
安定とは、そういう変えていくことではなく、考えずにただ繰り返していくだけなのかも知れない。
その合間、合間に楽しいと思うことがあり、それらに全てを注ぐのだろう。

そういう世界でも生きてきた。
だが自分に合わなかった。
そういう意味で負けた。
一見、安定している方が楽に感じるが、それはそこが合う人だ。

未来は不安定(不安)であり、希望に満ちていると感じる。
今から未来を創り出せるから、希望に満ちている。
未来に保証はないから、不安定(不安)に感じる。
明日、日が昇らないこともある。
未来に確証はないのだ。

それをどう捉えるか、どう見て、どう行動するか。
一生涯、それを続けていく。
老いて、もう今のように身体も頭も動かない日がやってくるがその時が引き際である。

彼らはそう考えていないのかも知れない。
今の仕事から導き出される未来を見て、色々と考えているのだろう。
雇われるということは、その仕事が出来なくなったら終わりなのだ。

彼は言っていた。
テンション(気分)が高まらないと仕事ができない。
適当に(聞いた話ではほとんどの時間)手を抜いて、仕事をしている。

仕事の合間に、自分の生き方ややりたいことなどについて、常にアタマを動かし、仕事はチカラを抜いているが全力で取り組む。

彼らを否定はしない。
その生活を選んだのは彼らであり、それを納得して生きているのだろうから。

もし少しでも不満があるならば、少しでもいいから創り出すことについて、アタマを使ってみて欲しい。
人との関わりや、人と話す話しを変えてみたり、書物を読んだりして、自分の人生に少しずつ色、花を添えていって欲しい。

誰かの歌であったが、自分がやったことが、人に伝わり回り回って自分に返ってくるというような歌が…(これも解釈の違いがあるかも知れない)。

まず簡単なこととしては、見方を変えてみること。