在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

最高の最期のために

9月から新しい場所で勤務することになった。

昨年の12月から8月いっぱいまで、9ヶ月間お世話になった。
思い返せば、昨年9月からお店で勤務して、11月いっぱいで異動してから、ずっとやってきた。
勤務するには遠く、アクセスの悪い場所であったが11月いっぱい居たお店のスタッフが、自分とは合わないからと言うことで色んな難癖付けられ結果、出禁となった。

この仕事、この関連の仕事を昔からしているが、人生初めての出禁であった。

出禁となるまで、普通に話していたのに…
衝撃だった。
人間不信に陥った。

そんな最中、次のお店では前の店で出禁になった理由に対して気をつけてきた。
ただ気をつけていた以上に、そのお店のスタッフと距離が近くなり、自分のやりたいことのために、シフトを調整した結果、次のお店から人を変えてくれとお達しがあった。

それを聞いたのは8月頭。
異動とわかっていたからこそ、今まで以上の成績を残す努力をした。
飛ぶ鳥後を濁さず。
次にこの店で働く人が働きやすいように。
そこの会社と自分の会社の契約に傷を付けないように。

自分が気をつければ、たくさんのことが上手く回る。
無理をしているのではない。
いつからか上手に力を抜き、愉しめるようになっていた。

異動を願ったのは、店長だった。
最後の最後まで異動を知っている気配を一つも見せずに居たため、店長が異動になるのか確認を自分の上司にしていたことを後で聞いて、笑えるなと思った。
店長が最後に『お疲れ様です。またいつか…』なんて言ってたが、自分の内心で『こういう人になってはいけない』と確信した。

新しい勤務地では勝手が違うため、気疲れしたものの出足好調であった。

会社組織や雇われで働いていることに対して『本当にどうでもいい』と感じている自分を見つけた。
それは何を求めても、返ってこないことを知ったから。
だから求められても、自分のやりたいことに響かない範囲でしか返さない。
それがいいのか、悪いのかはわからない。
ただ、この会社組織で骨を埋めることはないと確信している。
骨を埋められるような会社ではない。
上司を見ても、働いている人を見ても、その答えしか出ない。

だからと言って、辞めるという選択肢はない。
何だろう、達観していると言えばそうなのかも知れない。
興味がないと言えば、そうなのかも知れない。

今までとは何かが違う。
完全に違っている。

既に変化してしまっている感覚がある。

瞑想状態に近い。

それでも仕事の目標があり、それを追い求めていく。
住む世界の違う友だちとは違い、仕事は全力でする。
合間は自分の生き方について想像や妄想、いい刺激になるようなことがないか、面白い人が居ないか、面白い人と仲良くなれないか、いい出会いはないか、そうやって自分の生きることに役立つことを考え、探している。

休む間はない(いらない)。
生きるということを精一杯、一生懸命、全力で愉しむ。
そのために時間はあるのだ。

自分という映画の幕が閉じるとき、残せたモノコトは何なのか、悔いなき人生と言って笑顔で幕を閉じたい。閉じる。
そのために全力で生きる。
最高の最期を迎えるために。