在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

痛い目にあえばいい。

声を大にして言いたいことがある。

 

『共有する』ってことは、人と関わる上で大切なこと。

 

何故、言わない。

何故、伝えない。

 

共有がないと困るのは、お互い様である。

共有されていなかったため、その場の対応で色んな問題を発生してしまう。

共有していなかったため、その人が知らなかったことで恥をかく。

 

共有っていうのは思いやりの一つだと思う。

政治や公的な場では事前に伝えることで、ことがスルスルと進むが、事前に共有がないとその場で言われても、答えられないということがある。

これを根回しという。

 

根回しについて昔、記事にしたことがあるが、大きな木を切るために根っこを切っておく。

根回しというと、いい印象をもっていない人が多いかも知れないが、そうではない。

ビジネスにおいても、何においても根回しは大切なこと。

 

根回しも共有も似たようなこと。

 

会社では『報・連・相』が大事と教えられ、報告する、連絡する、相談することを口すっぱく言うが、これは共有するということを分けて言っているだけだ。 

そうすることで会社に守ってもらうことがある。

上司が助けてくれることもある。

 

だが、それは会社だけのことなのだろうか?

否。

 

社会の上でも大切なことである。

これは相手に伝えておいたほうが、いいと思う『思いやり』なのだ。

 

自分自身、いい加減なところがあり、共有し忘れることもある。

抜けていることや、だらしないところもある。

そうやって自分のダメなところをしっかりと把握しているからこそ、そうならないようにはどうすればいいのかを考え、対策することができる。

 

だが、周りに本当に共有しない人が多すぎる。

できるだけ、合わせるようにしているが、合わせることの負担は少なくない。

 

あまりにも酷い場合は合わせずして、共有していないことを指摘すべきか。

いつか共有しなかったことで、痛い目にあえばいい。

そうでないと人は、人に言われてもわからないのだろうから。