在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

ただそこに在るだけ

おそらく自分が人(世界、社会)に対する思想、言動などが自分の世界を作って行くのだろう。

 

どんな人たちが居て、どんな場所に住み、生活し、どんな空間にしたいかということは、自分の世界に対して己が働きかけていくしかない。

もちろん他の影響もあるのだが、基礎を作っているのは自分自身の思想、言動など。

 

【すべてのモノゴトは、ただそこに在るだけ】

 

自分自身を含めたそれらに意味はなく、それらにどう反応して、何を選択して、どんな意味づけをしているのかだけがある。
もちろん『感じる』という機能が備わっていることから感情がある。
それもどう感じようが、自分次第であるが、どう感じるのかを変えるのは容易ではない。

 

そういうことから感情というものは、厄介な機能だと思う。
そして、この機能(感情)が人ならではの遊びの部分であろう。

 

感情によって選択肢を変えることがあり、感情によって変えたことも多いだろう。

 

感情とは一体…という話しは機会があるときにする。

 

要は、【ただ、そこに存在しているモノ、現れるコト】に対することから、自分の反応、選択次第で【どう見えるか(物理的だけでなく)、どう感じるのか】が、自分の世界である。
そして様々な存在の中で、そういった世界が広がり絡み合っている世界が、認識している世界である。

ただその認識が事実存在しているのかどうかは誰も分からない(この話しは別の機会に)。

 

人に選択するということが、備わっていることがどういうことなのかをしっかりと認識した方がよい。

 

その認識があってこそ、より自分の想い描く世界を作っていけるのだ。