在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

本人の問題だけではない

下世話な話 〜その2〜

多くの人が他人に対して、見(興味を持ち)過ぎているように感じるが、そういう(他人から見られる)立場の人も居る。
特にメディアに出ている人たちがそうだろう。

 

『他人の何に興味を持っているのか』ということもあるが、またの機会にする。

 

メディアに出ている時点で人から見られている人となる。
芸能人などは話題になることが重要なので、自ら注目されるようなことをやっていることもあるだろうが、【公人】と呼ばれる立場は、注目されていることを芸能人以上に認識する必要があるのではないだろうか。

 

以前であれば公費の私的流用などがあったが、最近は『不倫』や『セクハラ』、『パワハラ』などのその人の人格を疑いたくなるようなことが目立っている。
どれも人格を疑いたくなるという内容ではあるが、公務上の話ではないだろう。

 

単純にいうと【公人】は選挙に立候補した人を我々が選び、その候補者が当選すれば職務に就く。
『選挙で選ぶ人が居ない』という声もあるが、それはまた別の話。

 

【公人】として自覚しているのであれば、法に触れることや人としてどうかと思うようなことも含めて誠実であろう。
それが【公人】になるということではないだろうか?
【公人】は、我々の血汗である税金をもらって公務に当たっていることを胸に刻んでおいてほしい。

 

それ以外に、選挙に出るために約束していることがあるが、そういったことを全うすること(結果的にできないこともある)や選んでもらった人だけでなく、落選した立候補者やその人を選んだ人たちの分も、働いているという意識が必要であろう。

 

【公人】でない一般人は会社に勤めている。
会社は人々に何かを提供し、対価を得ている。
信用や信頼だけでなく、顧客満足などが提供する側へ向けられている。
顧客は厳しく容赦ない。
提供されるものに対して、満足いかないのであれば顧客にはならない。
(某鉄鋼業者などの不始末はとんでもないことである。)

 

それを【公人】に置き換えるとよく分かる。
一般人で『不倫』や『セクハラ』、『パワハラ』などをしていると会社から社会的制裁を受ける。
また会社がその人のせいで損失を被ることもあるので、かなり厳しい報いが待っている場合もある。

 

【公人】の場とはそういった環境以上のことである。

 

そのようなことをした人は、即公務から外れ二度と【公人】になってはいけないという決まりがあってもよいぐらいではないか。


公務員が緩いと言われるのは、そういったことを隠そうとしたり、仕事を適当にしてももらえる対価が変わらないからではないだろうか。

 

また公務員が偉いなど思わせる(思う)環境も意味がわからない。
役場や役所、地域に関わることをしているところは、住民に対するサービスを提供しているところになる。
民間で言わば住民がお客様だという認識を持つことではないだろうか。

 

もっと責任を持って、職務に当たるべきである。
人としてどうかと疑いたくなるようなことをしている時点で、職務を全うしていないと見なしていい。

 

様々な責任を負うことの認識が欠けている【公人】本人の問題と、それらを許している環境、その環境を作り出している我々にも問題がある。

 

国や地域(都道府県市町)は、そこに住む民が居るからである。
そして、そこに住む民がしっかりすることが重要なのではないか。