居場所を失う
『居場所を失う』と題して、何を書き留めようかと。
居場所を失う瞬間であったり、居場所を失う可能性があったり、失ってしまった後であるかも知れない。
居場所って何なのか?
それは自分の存在が許されていて、その場で存在していると感じられるときであろう。
他の中に自分の存在を見出した時に、外国人は『joyful』と言うらしい。
『joyful』は日本語の中にない。
全体の中で自分という存在を確認した時に感じる感覚である。
とことん突き詰めて行くと、全体の一部であり、個という孤独でしかない自分。
それでも他者は自分の存在を認識したり、しなかったりして、他者の中に存在したりする。
それを居場所と思うのだろう。
その居場所を失うことがある。
否、居場所と思っていた場所が違っている場合もある。
そうやって自分の存在を認めてくれる場所を人は探しているのではないだろうか。