在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

豊かになりたいと強く思う

至極、有意義な時間を過ごしたので、書き留めておく。

 

時間が大切だという認識を以前したのだが、『時は金なり』という言葉がある。

この『金』というのは、貨幣であるお金という解釈がほとんどだが、そうではなく鉱物の『金』であると思う。

 

貴重であり、希少であり、人を魅了するあの『金』だ。

 

こういう概念を見直すことが大切と言う話しを友人(それ以上の存在)としていたのだが、人生は時間でできていると言っても過言ではない。

その時間をどう過ごすのか?

 

それについて、深く考えたことがあるだろうか?

これを読むあなたはどのような生活をしているのだろうか?

 

朝目覚めて、仕事をする準備をし、職場まで行きそこで与えられた仕事をこなす。

そして仕事から帰ってきて、何をするのだろうか?

仕事が休みはどのような過ごし方をしているのだろうか?

 

仕事をしていない時間は出来る限り多くの人と関わっていたいと思った。

自分が活動(生活ではない)していることで、多くの人と関わるようになり、その多くの人たちに何かを与えたいと強く思う。

だが、与えるには時間が必要で、時にはお金も必要になる。

お金を得る方法として仕事があるのだが、時間をお金に換える方法しか知らないので、そういった方法を取る。

もし、そういう方法でない方法があるならば、それを選択するとどうなるのだろうか。

仕事をしなくていいとなれば、多くの人たちに割く時間ができる。

そして、その多くの人たちに何かを与えることができるのであれば、なおよい。

 

必要としていることやものを提供できる人でありたいと思う。

関わる人が、関わってよかったと思う存在であるためには、時間もお金も必要になってくる。

 

宝くじを買って当たればみたいな話しをしているわけではない。

お金を得る手段を話したいのではなく、お金という足かせがなくなったときにどうありたいのかを想像すること。

 

やりたいことを最高の形でやっていこう。

自分が愉しいと感じることかつ、それをすることによって誰かのためになることをやっていくと考える。

 

もしかすると、このブログを読んで刺激を受け、変わったのであれば、非常に嬉しい。

 

人に何かを与えることが出来る喜びこそ、より幸せな状態だろう。

 

幸せを感じることに条件は要らない。

生きているだけで幸せなのだ。

生きていることで、様々な体験ができ、その体験に対して喜怒哀楽という感情を感じることが出来る。

それだけで幸せなのだ。

これが土台にあるかが重要だ。

 

その上でより幸せ、より豊かであるには、人に何かを与え、人から有り難い存在と思われることだろう。

 

友人はそれを『その人の人生まで生きる』、『自分の分身がたくさんある』と表現した。

人生を生きるのはその本人でしかないのだが、その人生の登場人物かつ重要人物になるということは、もう自分の人生の一部になる。

様々な人と出会い、そうした人生の一部となっていくような関わりを多く持つと色んな人生を味わうことになる。

共に生きているのだ。

 

そのために時間を費やすことは、無駄ではない。

人はいつか死を迎える。

死んだあとは、まだ生きている人たちが、死んだ自分を弔う。

死んだときに、悲しんで欲しくない。

笑っていてほしい。

今までありがとうとたくさんの人に言われたい。

そして、笑顔で送り出して、ずっと忘れないで居て欲しい。

 

この『忘れない』ということが大切なのだ。

お墓を立て、故人を偲ぶのは『忘れない』ためだろう。

 

話しは逸れるが、先祖のことを代々受け継ぐということをしているところはどれほどあるだろうか?

今であれば、親や子どもを、親や子どもが殺めることがある。

理解できない。

どれだけ憎んだとしても、その親、その親の親、ずーっと受け継いできてくれたからこそ、今の自分という存在があり、そしてそれを受け継いでくれる存在がある。

そういったことをもっと考えたほうがいい。

 

さて、話しを戻すとそういう血の繋がりではない存在が忘れないで居てくれることは有り難いことだ。

お金を渡して『忘れないで居てくれ』と言ったとしても、人は忘れてしまうだろう。

人が忘れないようにするには、その人の人生に深く存在すること。

 

深く存在する人たちがたくさんいるということは、それだけ人生が豊かだと言うことだ。

 

人生を豊かにする方法は、人のために時間を費やすということに繋がるのではないだろうか。

 

周りに自分が関わり豊かと感じる人たちがたくさん居ることは、自分の人生が豊かであると言うこと。

 

あなたが豊かと感じる人生を歩むために、何かを提供し続ける。

共に豊かであろう。