在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

全てのことに対して

かれこれ三週間前の日曜日の夜、その異変に気が付いた。

『あ、これヤバいかも…』

その夜は、予定がありいつもより遅かった。

倒れるように寝たものの、マシになるどころか酷くなっていった。

 

私の身体を蝕むそれが何かは病院に行かなかったことで不明のまま。

何となく察しは付いているが、いちいち病院に行ってそれを確認して、薬を処方されても、結局自分の中にある免疫力がそれと闘うだけだと思い、十分な栄養と十分な睡眠を与えてあげることにした。

 

栄養は与えることができたものの、睡眠を十分に与えてやることをしなかったためか、闘いは今なお続いている。

 

身体が不調だと、本当にパフォーマンス(能力)が落ちることを実感する。

どのような条件かわからぬが、頭痛を催すときがくる。

 

流石に、どうしてもという場合に鎮痛剤を飲むが、結局ごまかしているに過ぎない。

 

 

頭痛があるときは、脳が成長しようとしているときによくあるのだが、こればっかりはそうでもないことがわかる。

 

自分の身体のことは自分の身体に聞けば、よく分かる。

誰かが『病院は病気の名前を付けるところ』と言っていたが、ほんとそれ。

 

頭痛のせいで頭の働きが悪くなっているが、頭を使うことがたくさんある。

意識をしたいことがたくさんある。

現状で、それらを何とかこなせるなら、万全になったらと思うと俄然やる気が出てくる。

ただ痛みがそれを阻害してくる。

 

人間は脳の3%ぐらいしか使っていないというが、それが1%でも0.1%でも増えるのなら、今の状況を快く受け入れる。

と、思って受け入れている。

 

自分に起こること全てが偶然ではなく、必然だと受け入れる。

意味のないことかも知れないが、そこに意味を見出すことで道となる。

起こることにどう選択して反応するのか。

 

この選択に自分のせい(責任)ということを加えるだけで、人生が自分のものになる。

思い通りになっていく。

思い通りの人生を生きてはいけない、送ってはいけないと決めたのは誰か?

 

親か?社会か?

否、自分自身だ。

 

思い通りに生きていこうと決めた時から、思い通りになっていく。

ただ、すぐにとは行かない場合が多い。

少しずつ思いが通っていくのだ。

硬い岩盤に水を流すと少しずつ浸み込み、岩盤を通り抜けて水は流れて行く。

水を流し続けると、岩盤に穴が空き、水が通りやすくなっていく。

 

思い通りというのはそういうことだ。

水を流す行為が自分のせいということ。

自分が水を流していることを認識してこそ、水は流れていく。

天から降ってくる雨でもいいが、それは自分の意志で水を流していない。

自分の意志で水を流してこそ、道ができ、通っていくのだろう。

 

頭痛一つをそう捉えて見ると、強ち悪いものでもない。

全てのことに対して有り難いと思えた今日一日。

 

これからも『全てのことに対して有り難い』と感じる日々を過ごすように意識して行く。

さて、思い通りの人生を歩みだしたぞ。