在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

心眼

人は何かを見るときに、自分の中にある様々なことを含めて、それらを見ている。

またその相手を見て、判断することがある。

事実は、その時点で事実ではなくなる。

 

事実だけを見る力があるのか。

本物を見極める力があるのか。

 

目の前にあることは、ただあるだけ。

そこに自分のフィルタを通して見てしまうと、本当のところは見えない。

 

フィルタを外すことは、事実のみを受け入れることになる。

認めたくないこともあるだろう。

知らないでいたほうが良いこともあるだろう。

 

だが、知ることは自分の糧になり、時には道となる。

知ることで変わってしまうことに恐れを抱くからこそ、人は真実を知ろうとしない。

 

それがどういう状態なのかと言うと、騙している状態なのだ。

感情を抜きに、変わってしまうかも知れないことを恐れず、事実を見た時に、大きく飛躍して行く。

 

小さな殻に閉じこもるのも構わないが、何のために生きているのだろうか?

知らない世界に目を向けてみるといい。

新しい冒険が始まる。

 

世界は広いと知っているというが、それを肌で感じたことはないだろう。

地球という世界ではなく、地球上にいる人たちが作り出している世界が本当に広く、見上げても見えないところに住んでいる人たちや自分の周りにどのような人が居るのか、本当に友だちなのかなど、知らないことばかりである。

知らないことは恥ではない。

知らないことを知らないといい、教えて欲しいと頼んでみる。

もちろん、自分で調べることも大切ではあるが、知らないということを自覚することが大切である。

 

その背にある翼を使って、世界を羽ばたいて見ればいい。