在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

『狂え』という先生

ひょんなことから、吉田松陰先生の書籍を読むことになった。

 

吉田松陰先生のことは、各人で調べて頂くとして。

今まで、何故読んでいなかったのか?

名前は知っているものの、どんな人物でどんなことをした人なのかなど、ほとんど知らなかった。

 

だが、今の私に必要なので、出会ったのだろう。

その吉田松陰先生の名言である

 

『諸君、狂いたまえ』

 

の言葉が一番好きである。

この一言の意は中々、解りづらいものだ。

『諸君』というのは、吉田松陰先生の書籍やその文を目にした者に対して言っているのは解る。

 

問題は『狂いたまえ』だ。

もう少し噛み砕くと、『狂いなさい』と言っている。

『狂え』と。

 

どう『狂う』のか? 何に『狂う』のか?

そして、『狂ってる』状態とはどういう状態なのか?

ということが大切なのだ。

 

今までそんなことを考えたことはない。

と言うのが私の答え。

そして、今は何に、どう『狂い』、その状態であるのか?ということの答えを導き出した。

 

その答えを導き出すには、吉田松陰先生の書籍を読み、吉田松陰先生が生きた時代背景を想像してみるとわかってくる。

 

答えを導き出したからこそ、『狂った』者勝ちというのもわかる。

他人からしてみれば、『え?』って思うこともやってのける。

その言動が『狂っている』ように感じるのだ。

 

思えば、私がOSHOタロットを使っていた時にあった『愚者』のカードと同じだ。

自分自身だけを信じていて、他人がどうこう言おうが、その言動がその人に取っていい状態なのだ。

ただ人を傷つけることや、人を蔑むことなどはしない。

信念を貫いているからこそ、愚かな人と見られがちである。

 

本当はそのような状態が一番いい。

他人の顔色を伺い、他人の言葉を気にして、利己的な言動をし、見返りを得られないことはしないなんて、、つまらない人生であり、それで幸せというのなら、もうどうしようもない。

 

自分の人生、そう生きることに対して、覚悟をした人は『狂って』いくのだろう。

そうやって人生を歩んでいくことができるのか?

磨き続けることができるのか?

 

大抵は環境に影響されて、志を忘れてしまう。

環境>…だから。

狂える環境を持ち、そこに身を置けることが重要になってくる。

 

世の中の成功者と言われる人、偉業を成し遂げた人達は、皆『狂っている』。

周りから『そんなことはできない、無理だ』と言われたことでも、自分だけはできると信じて、無理だと諦めずやり続けた結果、成功であったり、偉業であったりを成し遂げることができる。

その心持ちが常人と違うから『狂っている』のだ。

 

誰しも自分は、そんな偉業を成し遂げることなんてできない、成功するなんて、、、と思っている人が多いのではないだろうか?

そんな時に『狂いたまえ』と言われても、訳がわからない。

 

そりゃそうだ。

環境もなければ、そういうことを学ぶ機会があることすら気がつかない。

機会はどこにでもあるのだが、受信するアンテナが低いか、向きが違うか、拾える周波数帯が狭いか、拾える周波数帯が違うからだ。

環境に関しては探すしかない。

 

環境を探すにはアンテナを高くする、向きを変える、拾える周波数帯を拡げるなどをして、掴みにいく。

そのための方法を過去に記している。

 

変えるのは一瞬で変えられる。

それを継続するのが難しいのだ。

せっかく、変えたのだから継続して『狂って』しまえばいい。

『狂い』続ければいい。

 

実はそれが正しかったりするから。