在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

石を投げてみる。

目の前に座っている人たちの顔を見る。

訝った顔をしている人、興味なさそうな顔、難しそうな顔、考えているような顔、ぽかーんとした顔、色んな顔がある。

 

そのような顔を前にして、一通り話し終わった。

説明の上手下手はあったにしろ、色んな顔の人たちが本来ならば考え、行動しなければいけないことを話した。

 

正直、「あんたらのことやで。何を悠長にしてるねん。他人に言われて嫌やないんか?」と言いたかった。

 

ああ、こういう風な感じだから、今があって、この先も予想できるな。

そして、予想通りになって、慌てふためき「何もしてくれなかった。何とかしろ」と自分はいつまで経っても動かないのだろうな。

その状況になってからでは遅い。

 

そういうところに石を投げてみる。

最初は小さな石、そしてどんどん石を投げ続ける。

石が当たっていることに気が付けば何らかの行動に出る。

だが、石が当たっていることに気付かず、石を当て続けられ死んでしまう場合もある。

いたしかたない。

 

とにかく気づかせようと続けないと、どうにもならんわけで。

気づいてこそ、動きがあると思う。

気づいてこそ、何ができるかを考えられると思う。

 

本来ならば、自分で気づいて動くべきなんやけどな。

年も若く、血のつながりもない人に言われて何とも思わないってのは本当にダメな人なんやで。