共感なこと
共感し合うということに、随分、昔から求めている。
その感覚は忘れられない。
体験したからこそ、あの心が通った感覚が忘れられない。
話したいことがたくさんあるのは、その人と共感したいことがたくさんあるからだろう。
行きたいところがたくさんあるのは、その人と共感したい空間がたくさんあるからだろう。
共感だけでなく、わかり合うことができると思っている。
わからないけれども、読み取ろう、感じようとすることはできる。
誤差は生じるが。
言葉は便利なようで、不便だ。
お腹が痛いと言っても、言った相手には、痛さはわからないから。
共体験なるものが出来るのであれば、それはそれで、便利すぎて不便なんだろう。
いつも隙間や、ズレ、行き違いの中で、自分の感覚を持ってこの世界に生きている。
すごいことやなー
何か、不思議なことやなー
自分が死ねば、世界は一旦幕を閉じる。
(新しい世界があるのか、ないのかはわからない)
世界が滅亡する日は自分が死ぬ時。
と、思えば天命なのかとか…
夜な夜なこんなことを考えていることを共感する人は、まあ少ない。
まず、話してみること。
話しを聞いてみること。
相手の気持ちを汲んで聞いてみること。
自分の心を伝えられるように、話すこと。