在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

表現は自由なんやけれど、、、

田舎に来たからではないけれど、いつからか横文字といわれるカタカナ英語を使うのを極力避けている。

 

日本語もろくに話せない、意味を分かって使えないのに、横文字を多用する人が多い。

厳密に言えば、日本語っていうのは「ヤマト言葉」と言われるものだけで、漢字はその時の通り、漢の国の言葉なので、ヤマト言葉で表せないことが多々ある。

 

言葉のことについても、色々と思うことはたくさんあるのだが、今回はそのことを踏まえた別のこと。

 

ある女性(40代ぐらい?)が「パートナー」という表現をしていた。

その場に「パートナー」である人が居ないので、定かではないが男性のことを言っていた。

 

ある状況から「パートナー」というのは、ご主人(もしくは旦那)のことだと思っていたが、「ご主人さんは、、、」という会話に対して、頑なに「パートナーですけど、、、」と返してくる。

ん???違うのか?

「パートナー」は「相方」という意味で言っているように思えた。

相方ではなく、何故パートナーに固執するのだろうか?

 

話しが横道にそれるけれど、彼氏やご主人と言う関係でなくても、他の表現があるだろう。

相方と言う表現は、聞いている方としてはあまりいい印象を受けない。

何だろうな~恋人同士なら、彼氏や彼女と言えばいい。

結婚しているなら、主人や妻などと呼べばいい。

友達なら、友達と呼べばいい。

 

他人の表現やから自由でいいんやけど、何か違和感が残る「相方」。それを横文字にして言うからなおのことややこしい。

まるでその人たちの関係性が不純な関係性で、一般的には理解できない関係性なのではなんてことまで浮かんで来たり来なかったり。

 

それでその人たちのことを受け入れられないわけではないが、違和感が残る言葉だった。