在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

アタマの中のこと9月22日

『なりとうないは、なってから言え』と「さくらん」で聞いたセリフで、どんな場面かは調べてください。

色んな作品、映画やアニメ、書物、何からなんでも気になった言葉を止めておくのだが、このセリフもその一つ。

なってもいないことに対して、なりたくてもなれない人もいるのだから、なってから『なりとうない』と言えと続く。

選択できる立場だからこそ、選場ないことができるわけで、選ぶことができない立場で、選びたくないってのはボヤキでしかない。
物事として成立してません。
『あんた、バァカァ?』と一蹴されるわけですね。

だから、なって(選択できる立場)からなりとうない(選ばない)と言うことに決めたのを思い出した。


話は変わるが、師と仰いでいる人が居て、その人が集団ヒステリーの話しをしていた。
何となく、わかるのだが師の表現が難しいため、代替できなくて、咀嚼するのに時間がかかることがある。
この集団ヒステリーのことに関して、ようやく飲み込め、血肉にできたような気がする。
自分の意志とは相反するもしくは、そこまで意志とは関係のないことなのに、周りに左右され、大きな意志を持っているように流され、その一部となることなのだろう。
(師は代替すると違う話しになるから、そのままで受け取れと言う)

今現在、この世に起こっていることのほとんどが集団ヒステリーになっているのだろう。
そんなことに巻き込まれず生きていくには、相当なチカラやアタマが居るが、人はチカラを付けることも、アタマを使うことも嫌う。
そういう人は『養分として生きていきな』と思う。

この養分で思い出したが、本当にこの世の中、マトリックス(映画)の世界と同じではないかと感じる。
ああ、初めてマトリックスを見たときの衝撃は忘れもしない。
映画館を出た後に、震えていた。
あの頃から、既に別の道に入っていたのかも知れない。

アタマの中は迷路やな。