在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

新陳代謝

ロゴであったり、レイアウトであったりをパッと見たときに、いいデザインだなー。かっこいいな。おしゃれだななんて思うわけだが、それが何に繋がるのかまでは考えているのだろうか。

デザインがいいから、どうなんだ?
デザインがいいから、目的にたどり着くのか?

と、デザイナーが必要だという。

まずデザイナーよりも、クリエイターが必要で、そのクリエイターが存在する環境を作っていくことや、その情動が大切なんだよ。

デザイナーが何もできないと言うわけではない。
デザインしてもらう以上は、そのデザインに見合う中身や、それ以上の物を用意することが重要と言っている。

そんなことをわからない人間が策なんて考えている。
そして、そのわからない人間は、いつまでも古きものに固執し、高尚な態度を取ることが多い。
老いぼれの安直な発想に、落胆してしまう。


古き良きものや時代はあるが、なるべく早く若者たちに譲ろうとしないのはなぜか?
譲る若者たちを早くから育てて、新陳代謝をは促さないのだろうか。
自分たちがいつまでも、のさばっているから、若い者が意欲をなくすのではないか。

もちろん、若者たちに全く非がないわけではない。そんなことにも負けず、挑み続けることをせず、楽な方に、楽な方に行こうとする。
『若いときの苦労は買ってでもしろ』という言葉があるように、苦労の先にあることを体験させるという事。
どんな体験をするのかで、人は大きく変わっていく。
苦労してきた世代が次世代たちに、させたくないという気持ちは分からなくはないが、ずっと苦労して過ごしてきたのだ。
いつの時代も苦労はすることがある。
だからこそ、次世代に託し、見守ることが大切なのだ。

次世代に託すことは、デザイナーにデザインしてもらうことではなく、様々な可能性を作り出す環境を整えて見守ること。
例え、その可能性が危うくても、ギリギリまで見守ることができるかどうかが大切だと思う。