やるって話し。
自分が好きなこと、心が躍動することをやり続ける。
その躍動する情熱を持ち続けることができるか。
自分がやると決めたこと。
おそらく人生のほとんどがそうなのだが。
そこに情熱を持ってやれるのかどうか。
それを何と分類しようが、情熱を持てることに突き進んでいけばいいと、心の友との話しをしていた。
目的と手段を混同すると、情熱が失せる。
情熱を持ち続けるために、そこに広がる世界と繋がり、刺激を与え続ければ良い。
歳なんて関係ない。情熱を持つことに早い、遅いもないから。
やり続けること。
情熱を持ち続けること。
そのために、今何をするのかをやっていくだけ。
『たった一度きりの人生を楽しんでいるかい』と自分へ常に言い聞かせていく。
楽しめばいい。
情熱がわき上がったことに対して、自分がやると選んだのだから。
すべて、自分が選んだことで、その選んだことをやった結果に対して、どう応じて、どういうことを選んでいくか。
ただただ、それの繰り返し。
そして、継続することがチカラになるというのは、それを繰り返していくことで上達することもあれば、それを繰り返すことで新しいことができるようになるから。
自分が生きていく世界を、自分が創り出せることを知っているのに、誰かが作った世界に生きていると思っている。
これが罠と言うか、仕組みとして認識していることなのだろう。
認識を変えれば、見方を変えれば、変わって来ることが沢山ある。
生きた年数だけ癖がついているので、認識を変えるのが難しく感じることもあるが、出来ないことではない。
容易くなることもある。
認識を変えることを常にしていれば、ことさら難しいことではなくなって来る。
人は変化を嫌う。
何故なら、新しいことに対しては、予備知識がないため不安が出てきたり、脳や体が楽をしようと、チカラ(エネルギー)を使わないようにしているから。
チカラを消費することは、それまで使っていなかった部分を使うことになり疲れるから。
筋トレとかと一緒。
使っていなかった部分を使うと疲れが半端無い。
時間もかかる。
だが、それをやり続けることで、筋肉が強くなっていくのと同じで出来るようになっていく。
友だちは言っていた。
その情熱が湧くことが生きるための何かに役立たないことかも知れない。
だが、そんなことは重要ではない。
そのわき上がった情熱を持ってやり続ければ、新しい世界が広がっているから。
それでいいと思う。
心地よい世界に生きたいとなっているから、その情熱を持ってやっていけばいい。
さて、やりますか。