在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

線引き

生きるということがロールプレイングゲームと同じだとか、人に対してどう感じて、思っているのかだとかの記事を書いてきた。

 

そんなこととは、ほとんど関係のないことだが、この間友だちとメッセージをやり取りした。

自分の用があって連絡をしたのだが、心良く答えてくれていた。

その用とは別の用に関しては、その友だちが関わりのない人のことであったため、そのことには触れないと言われた。

 

そういう線引きのしっかりしている人で、その友だちは、少なからず自分のことを面白いと思っているから関係性が保たれている。

 

そこが大切だと改めて思った。

 

『無駄な時間』、『テンション上がらないことはやらない』

自分にとっては大切な存在であっても、第三者にとってはどうでもいい存在なので、そこにチカラを入れることはない。

それによって得られることがないもない、得られても少ないのであれば、無駄になる。

 

それぐらい冷酷でいいのである。

誰にでもいい顔をしたい人は、誰からもいい人(便利な人)として扱われる。

 

他人からどう思われてもいいのだ。

 

それで嫌われて、去っていくような相手と付き合う必要もない。

 

心理学の本に『嫌われる勇気』とあるが、それとは少し違う。

 

時間もお金も、チカラ(エネルギー)も全て道具で、それをどう使い、どのような人生を生きるのかは、自分で決めることができる。

 

優しさや親切心とは弱さなのかも知れない。

その弱さを克服することではなく、様々なものに頼ったり、身につけたりして、自分自身の鎧を作っている。

 

頼らないことや攻撃的や好戦的になるのとも違う。

義理や人情という感覚がないわけではない。

義理立てることや人情的になって自分自身を失いつつあると危険だということ。

 

 

一人ではないが、いつも独りであること。

繋がっているが、馴れ合いではないこと。

 

それを改めて、思い直した。

 

本来なら今の職場関係も、馴れ合った環境が多いので、きっぱりとしておきたいのだが立場上や人間関係的にそれらを理解できる相手はいないため、押し通すと自分が損する形で返ってくる。

だからといって、馴れ合いに染まるのではなく、しっかりと線引きしていくことからだ。