在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

問題×問題=XXX

何においても『問題(改善点など)』は付き物である。

 

その中でも、深刻な問題がある。

例えば、少子高齢化、温暖化、格差社会、貧困社会などなど、数え切れないほどたくさんの問題がある。

 

問題を解決するには色んな方法がある。

その中で問題に対して、別の問題を掛け合わせることで解決に導くことがある。

 

問題×問題=大問題とはならないことが多い。

それぞれの枠の中で問題を解決するには、どうしても解決しようがないこともあるが、そこに別の問題を合わせることで、お互いの問題点とお互いの良いところを掛け合わせる垣根を超えたやり方だ。

 

そういう垣根を超えた融合(クロスオーバー)は、二つの問題を解決するだけでなく、新たな試みができることもある。

 

問題は解決できるから発生する

もちろん問題として認識するのかなどの根本的なこともあるが、基本的に問題と感じていることは解決する。

解決しないのであれば、それは問題ではなく結果だろう。

 

そんな問題なのだが、個人(だけに限らず)において言うと問題は成長する機会である。

個人の人間関係の問題に関しては、問題と認識して感じるかどうかはあるが、問題と感じているのであれば、実は自分一人の問題だけであるとは限らない。

この相手だから問題となる場合は、お互いに問題なのだ。

それを業(カルマ)という。

 

だからと言って、相手が何もしてくれないから解決しないとはならない。

自分で問題を解決するようにすることが成長に繋がる。

 

では、どうすれば良いのか。

どうすれば問題は解決するのだろうか。

もしくは問題として残ったとしても、変化があり、問題の規模が小さくなるのか。

 

それは『自分はどう在りたいのか』、『在りたい自分になって向き合う』ことで解決になっていく。

 

在りたい自分がわからないなどがあるかも知れないので、在りたい自分を見つける方法がある。

それは、その相手(以外も)とどういう風に付き合いたいのかを想像する。

想像したら、どうすればそうなるのかを考える。

考えるときは、相手の立場に立って考えるのだ。

こう言われたら、こう反応するかな?

こういうことすると、こうなるのかな?

 

そう考えて、実行してもそうならない場合が多いが、その考え出す答えを沢山作る。

どうすればいいのか。

相手としてはどうするのだろうかと考えて動く。

 

他者も、自分も人である。

例え、育ってきた環境が違えど、例え、性別、文化などが違っていたとしても、人であることは変わらない。

通じないこともあるだろうが、通じることの方が多い。

 

相手を何とかするのではない。

相手が気持ちいい、嬉しい、楽しいなど、相手に何を与えられるのかを考えて行動すれば、自ずといい結果になり、自分自身が変わっていく。

 

自分の生きている世界は自分が創り出している。

自分の生きている世界は自分が変わることで変わっていく。

 

そういうものなのだ。

 

問題が起きた時、それは何かの機会である。

成長できる機会であったり、飛躍する機会であったり、変化するためのきっかけでしかない。

変化したいとココロ(魂)が訴えているからこそ、その問題は起きる。

 

喜んで、その問題に取り組もう。