桃拾ってきたー
『むかし、むかし、あるところにお爺さんとお婆さんが…』
こう始まる昔話の代表と言えよう【桃太郎】
桃太郎の話しは何を伝えたかったのか?
何てことはあまり深く考えられずに、桃太郎が鬼退治に行くことになり、その道中で三匹(三種類)の動物と一緒に退治したという勧善懲悪物語と受け取めている。
先日、友人と話していて、そういうことを伝えているという発想が面白かった。
【桃太郎】の中で、一番の偉業、功績を上げているのは、桃太郎ではなく『お婆さん』である。
それはなぜか、、、
まず、川で流れてきた桃を拾うという行動。
どんな大きさかなどは明示されていないものの、『桃の中から生まれて』くるので、それなりの大きさがあるのではないかと推測できる。
そんな大きな桃を、洗濯物を放り出して取りに行くこと、またそんな大きな桃は異様な存在であろうにもかかわらず、怖がらずに持って帰るという選択をした。
そして、桃から出てきた子どもを育てようと考え、育てたこと。
さらっと序文に書かれていることが、どれだけ凄いことなのか?
友人は『お婆さんのテンションが高い』と言った。
【桃太郎】という物語の中では、桃太郎が主人公になるが、その桃太郎が主人公には『桃を拾う』という行動が今の私たちに出来るだろうか?
この【桃太郎】の話し以前に、『情報を集めること』、『その情報の中から自分にあった情報のみを取得すること』などの話しをしていた。
【自分にあった情報を取得すること】は、まず自分のところへ情報を集めることが大切になり、その集まった情報から合った(必要、重要)情報を取得することになる。
たくさんの情報が川のように流れてきて、その中で自分に合った(必要、重要)情報=桃を拾うことになる。
だが、桃以外の様々なものが流れている中で桃だけを拾うのは容易ではない。
お婆さんは、容易ではないことを容易にやってのけたのだろうか?
そうは思わなかった。
情報を選別することなく、桃という情報のみを拾える状態、状況であれば良い。
では、どうするのか?
桃だけが流れてくるようにすればいい。
むしろ、拾った情報が桃であればいい。
桃はお婆さんに取って未知なるものに違いなかっただろう。
異様なまでに大きな桃だけに気がつけばいい。
情報を収集することも、選別することも、エネルギー(時間であったり、場所であったり)を使う。
そんなエネルギーを使える程、エネルギーは余っているのだろうか?
効率は非効率である。
具体的に言うと情報は基本的に収集しない。
情報を収集しないと取得できないのではないのではない。
必要な情報のみを取得するようにする。
自分が行動しておけば、色んな人たちが自分に対して、色んなことを伝えてくれる。
その中で、ワクワクすることに挑めばいい。
世間的な情報(話し)はどうでもいい。
もし知らなくても、合わせればいいし、教えてもらえばいい。
知らないことに恥じる必要はない。
自分がワクワクすることに対して、自ら情報を集めに行くことをしておけば、必要な情報だけが引っかかるようになっていく。
一度も、そう言ったことをしたことがなければ、直ぐにそうなるとは言わないが、それをやり続けていけば、できるようになる。
また自分がワクワクすることや、過去に学ばず新しい情報を手に入れるのは、人と会うこと。
この【人と会うこと】も、自分がいいと思う人だけでなく、様々な人と関わってみれば、今まで自分が選んできた道とは違う道に進む可能性が高くなる。
人が持ってくる情報は、自分に合った情報であることが多い。
川に洗濯物をしに行くというルーチンワーク(繰り返し作業)から、桃という新しいものに触れたお婆さんは、【桃太郎】という物語の中で、桃太郎を作り出すことになった。
仕事と気の知れた友人たちだけの日々から、新しい人たちと触れることで【あなた】という物語の中で、桃太郎を作り出す可能性が生まれるのだ。