思うところ…
私的なことといえば、年末年始のツケがたまっていて、それが身体へ顕著に出だしている。
例えどれだけ気持ちが若かろうが、老いは着実にやってきていて、それに抵抗するのかしないのかで老いの速度が変わってくるだけ。
当たり前だが、老いる現象を老化という。
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時間という概念は、社会で生きていく上において重要な区切りになっている。
私は時間という概念がなければいいのにと思う。また自由に行き来できれば…ゲームなどである『強くてコンテニュー』的なことができれば…とできないことを夢見てみる。
もしそうなったら人生なんて面白くもないのかも知れない。
時間の概念が24時間に区切られているのだが、それでいうと32〜36時間という区切りが欲しい。
ところで生きてきた時間を無駄だとか、後悔しているわけではないが、その過ぎた時間を有効に活用できていないと感じる(実際はできているのかもしれない)こともあり、『もっと若ければ…』と言いたくなる。
そう思ってやまないのならば、『今この瞬間から』そう思い過ごせば、今からの時間は、過ぎた後に同じように思うことはないのだろう。
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他人と話すときにどのような情報を交換(相互もしくは片方から、提供もしくは享受)するのかが、人生に取って重要なことだと私は見ている。
その時に使う言葉や言い回し方、そう言ったことも含めて、他者との情報交換が人生を豊かにしたり、しなかったりする。
常に私たちは自分の世界を【想像】して【創造】している。
想像は現実(事実として)に起こるまで、存在していないが、想像することで存在することになる【可能性】が出てくるため、想像=現実ではないと言い切れない部分はあるものの、現実として目の前に現れる(体験するなど)ことで【創造】したと認識できる(認識しないという選択肢もある)。
【想像】の材料の一つに情報がある。
そして情報というのは様々な情報があり、そこに意味はない。
意味付けするのは情報を得た人がするため、必ずしも情報提供した人の意図や意味と同じにはならない。
話しは逸れるが、情報を得た人が意味付けをするので、意図や意味を伝えたければ、それを伝えることが重要だ。
どうすれば情報を得る人が、こちらの意図と意味までも受け取るのか?
それは相手のことを考えて、相手が受け取りやすい言葉や言い回しで伝えることが重要と言えよう。
この情報交換も含めて、自分の世界にどのような【情報】であり、どのような【交換の仕方など】や他者とどのような【関わり】をしたいのかを想像して、創造していく。
こんな関わりがしたいと思っているのであれば、そんな関わりをしたいようにしていくことが大切で、その想像している関わり方と違う関わり方をしなければいけない状況や他者を減らしていくことに着目し、着手することで創造できる。
そういうことをやっていく上で、何よりも大切なのが時間。
時間に限りがあることを認識しておくこと。
その限りがいつやってくるのか不明であること。
限りがあることを認識していけば、本当に無駄なことをやっているなと気がつくのではないだらうか?
ただ、そうなるとかなりストイック(禁欲的に厳しく)にやることになっていく。
それでも足りないぐらいなのだが、そのような環境に心身がついていかない。
以前にも記載したかと思うが、意識することでエネルギーを使い、想像すること、それらを創造していくことにもエネルギーを使う。
合わせて時間も使う。
時間、エネルギーを掛けずにするためには、要領を得ること。
要領を得るには、やり続けるしかない。