在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

超えていくために

殻を突き破る
自分を超える
自分に克つ

 

言葉にするのは簡単なこと。
だが、それを実際にするとなると、何故か気乗りしなかったり、(ブレーキを掛けてしまう)、怖じ気付いてしまったりする。

 

それは何でなんだろう?
例えば、この世界中全員の人から『いい(賛同される、賛成される)』と思われることはなく、その逆も然り。
ならば全員から『いい』と思われることも、全員からそうでないと思われことも考えなくていいのではないか。

 

それでも目の前の一人の『いい』かそうでないかの判断を怖がってしまう。

 

その目の前の人にそうでないと言われるのが怖くて。

 

その結果を聞かないことには、何も判断しようがないのに、そうでないと言われると全てを否定されているような気分になる、嫌われていると勘違いしてしまい、聞くのが怖くなることもある。

 

『自信がない』
その言葉に込められた気持ちは何なのだろう。
他から認められない恐ろしさ。
出てもいない結果(やらなければ結果はない)を良くないように想像して臆す。

 

他人に認められなければ、生きていけないのだろうか?
他が望む結果を出せなかった過去があるからだろうか?

 

どのような状態であれ、誰かに認められるために、生きているわけではない。幼少期に何かがあったとしても今とは違う。

 

認められることが目的なのか?
違うと思う。
人からの評価や評判欲しさにしていることなのか?

違う。

 

やりたい、そうあることに対して、他人のどうこうは必要ない。
もちろん、全く不要とは言わないが、その地点に行くまでは気にすることではない。

 

認められていないことは、やっていない状態なら同じ。

 

ならば、いざ始め出した時に気にしなくていい。

 

気が付いた時に、認めてくれる人たち居て、その認めてくれる人たちと同じくらいに認めていない人もいる。
どちらに焦点を合わせるのか。
そういった問題だろう。

 

『先ずはやる』
殻は自分でしか突き破れない。
突き破りやすいようにお膳立てがあるかも知れないが、そうなっても殻を破るのは自分で、その殻から出て歩き出すのも自分自身でしかない。

 

歩き出せば、怪我することも、疲れることもある。
そういう自分を超えていくのも、自分でしかない。

 

そうやって、弱々しい自分からチカラをつけて、今までの自分に克っていく。

大きくても、小さくてもいい。
今の自分を超えていく日々を過ごすことしかないのだ。

 

【継続はチカラなり】