在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

バブルボムゲーム

唐突だがこの世界には、『場』という見えない作用するチカラがある。

 

心理学でも、名称や捉えている角度は違えど『場の作用』について言及がある。

 

『場』というのは人の思念が、渦巻き他の人の思念を巻き込んで膨らんでいく。

その膨らみは、その人の思念(意識していることより無意識で認識していること)が形になるまで膨らみ弾ける。

 

ただ他の人の思念も集まるため、認識している以上のことが起きる。

 

人の思念の中に、自分の思念の種を植え付けるだけで、どんどんと『場』は思念を求め膨らみ、動き、吸収していく。

 

その作用を使いこなすと『引き寄せの法則』になる。

 

例えば、車を運転していて、右に曲がろうと思うと、右にハンドルを切るように、右に曲がるという想像を持った思念が、体や環境など(ハンドル)を想像に近付ける。

 

とんだ精神論だが、人は想像したことをしようとする。

 

自分にとっていい『場』ならばいいが、自分にとって不要な『場』に巻き込まれると逃れられず、被害を被るときがある。そうならないようにするには、思念を持たないこと。

 

思念、思い、言葉にするなど意識や無意識にそういったことを入れないこと。

また『場』が近付いてきたら、さらっと流すことが大切になる。

 

生きているということは、そういったゲームに参加しているという認識をした方がいい。

 

『場』という膨らむバブルボムをどう回避し、どう自分の目的のバブルボムの中心に入り込むかというゲームなのだ。

 

もちろん、ロールプレイングゲームであったり、アクションゲームであったりと、様々な形のアトラクションが用意されている。

 

ゲームのように説明書はない。

そして、完全没入形のゲームなので、ゲームに参加していることすら明示されない。

 

説明書はないがガイドはある。

操作についてや、ルールについての案内は人であったり、体験であったり、書籍、口伝、様々な形で案内される。

意図と違った案内もあるので、全てが自分に合っているとは限らない。

 

一見、難しいと感じるが、感じてしまうと無意識がそう認識する。

 

一つ一つ、噛み砕いてわかっていくことで、このゲームを楽しむことができる。

終焉ですら、自分で描くことができる。

 

できるが、できるまでやり続けることが大切。

色んなアトラクションを十分に楽しんでいこう。