見えていなかった景色を見る
センス、いわゆる【感覚】や【感性】がいいかとか『意識高い』などの言葉があるが、いったいどういう人を指すのだろうか?
センスにしろ、意識にしろ、人よりも抜きん出ている、秀逸であるということ。
だが、言い換えれば人と違っている。
そして、この『人』といわれるのは一般(大勢大多数)人のことである。
人は、人と同じ(ような)であれば安心する。
特に日本人はその気が強い。
それは日本人のDNAであったり、今までの文化であったり、島国、農耕民族などで人との調和を重んじてきたからだろう。
さて、そのような人と同じようなことであれば、人生もさして変わらないのだろう。
私は昔から人と同じというのが、どちらかというと好きではなかった。
むしろ、少し目立つぐらいがちょうど良かった。
だが、少し目立つぐらいでは一般と変わらない世界なのだ。
例えば、地上から1mの高さから見る景色と1m1cmの見える景色は差ほど変わらない。
だが、1m50cmや2m、3mとなってくると全く違う景色が見えている。
そして、その2mや3mの景色を見ている人たちが少なからず居る。
その景色を見るためには、まずセンスや意識がどうなのかということになる。
センスがいい。意識が高い。
そうなるにはどうすればいいのだろうか?
答えは簡単、【素直】になること。
人に言われたこと、自分が思っていることなどに【素直】であるのか。
【素直】というのと【馬鹿正直】とは違うのだが、それは割愛する。
人に言われたことに対して、一旦【素直】に受け取ってみるといい。
そして、それを言った人は『何故、そう言ったのか?』を考えてみるのといい。
あながち間違ったことは言っていないことに気が付かないだろうか?
この『あながち間違ったことを言っていない』と気がつかない時点でセンスはない。
『あながち間違ったことを言っていない』のではないだろうかと自分の中に探すことをした人はセンスがあると思う。
もちろん、違うこともあるが受け取ってみて、初めて『違う』ということもわかるのである。
人は何かしらを感じて、言っている。
これの応用が『鏡の法則』と言われる。
そうやって自分が見えている部分ではなく、見えていない部分に対して意識をしていくから、センスや意識は磨かれていく。
また、人が言うことを信用すると騙されるなどの理由から【素直】に受け取らない人は、センスがないとなる。
まず、人が騙してくるなどと思っている人は、自分が人を騙していることが多いと認識するべきである。
自分が人を騙すことがないのであれば、人は自分を騙してこないだろう。
また人は信用できないという人もいる。
別に信用しなくていい。
こういう時の信用とは、相手に責任があるという所謂『相手のせい』にしている状態が多い。
全て自分の責任とすれば、何でも思うようになっていく。
この話しはいつかしよう。
センスはある、なしだけでなく、センスが良いのか、悪いのかもある。
意識を高く持っているのか、低く持っているのか。
大多数の人はそういう(自分や大多数の)人と違う人を妬む傾向が強い。
何故なら、自分と違うとわけがわからなくて、理解できないため怖くなるからだろう。
だが正直な話し、みんなと同じでいいのだろうか?
周りと同じような環境で、不満や不安はないのだろうか?
自分を信じることが出来ないのに、大勢多数のやっていることを信じるのか?
あなたはあなたとして生きているのか?
そういうことにどれだけ敏感になれるのか?
敏感になっていくと社会からつまはじきにされたり、社会に属することが息苦しくなることが多々ある。
社会からかけ離れて行くと、天才や変人、奇人と言われるようになる。
この天才と変人、奇人は紙一重であり、この紙一重の違いは、他者に何を与えられるのか、他者を幸せにできるのかということに尽きる。
自分にセンスがないとか、意識高くないなどの『ない』を言う。
他者を見て(比べて)どうこう言う。
それらの何に生産性があるのだろうか?
『ない』が生み出すことは不幸なことしかない。
何故なら、幸せではないからだ。
根本が違っている。
根本が違うので、その根から生えてきた木の姿も違うのだ。
ばっさり切ってしまう勇気を持つといい。
今に不満なら、ばっさり切って新しい芽を出したほうが早い。
『それは、、、』と躊躇しているのは何故か?
変化を嫌う生き物だから。
だが、変化することを望めば、見える景色が違い、変化した後の世界に行くことが可能である。
その可能性を見出せるかもセンスなのかも知れない。
言うのは簡単だが、めちゃくちゃ深い言葉(ばかりなのだが)がある。
『人生は一度きり』
その一度きりの人生をどう生きるのかは、自分次第だ。
気が付くことに気が付いて、見えていなかったことを見る力を今からでも養えるのだ。
見えていない世界には行くことができないが、見えている世界なら行くことができる。
是非、センスや意識を磨いていこう。