在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

蒔いた種

どんな土壌であれ、種であれ発芽するときはする。
どんな出来になるのかは、分からないけれど。

そして育った作物は刈り取る。
刈り取らないのであれば、腐り肥やしにかも知れないが。

作物ならいいものの、これが人の仕業になると厄介になる。
育てるのも労力が必要だが、刈り取りも労力が必要になってくる。

一緒に育てることが前提にあれば、良いがそんなつもりはないなんて言われた時には、労力がかかり過ぎて育てることも刈り取ることも出来なくなる可能性がある。

だから、労力が必要にならない内に刈り取るなり、一緒に育てる人を探すなりしておきたい。

事が大きくなればなるほど、一人ではどうしようもなくなる。
どう転んでも自業自得なのだ。

全てのことに対して、自分が責任を持って対処していくことが前提にあることを忘れてはいけない。
無責任とは、自分が蒔いた種から出てきたことに向かいあわず、目を反らしたり、その場から逃げたりすることではないだろうか。

自分で何とかする。始末をつけることを覚えた時から、もう子どもではないのだろう。

最近、蒔いた種が次々、芽を出していて、世話できなくなりつつある。

さて、どうしたもんかな。