在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

ムラ社会と都会

以前、『社会とは何?』ということから、社会の境界線はどこからかなどを考えたことがあった。

多分、社会とはその空間に自分以外の存在(人だけではない)があることから、社会が始まるのだろう。

そして、その存在が多数になればなるほど、決まりごとが必要になっていく。多くの存在が認め合い、譲り合い、許し合い、助け合うことをしようとしない限り。
そういう決まりごとなどは、誰かが決めていくことであり、それを良しとして賛同していくことで、常識というものが作られていく。

その常識の輪が広がって、ぶつかり合い、また新しい常識が生まれてくる。
ムラ社会の常識と都会の常識とが違うのは、当然だと感じる。
都会のように多くの人たちが居るからこそ、その多くの人たちがお互いに存在し合えるように決めたことにムラ社会という都会より少ない人たちが居る中でお互いに存在し合えるように決めたこととは、異なるのだろう。