どうぞ、お構いなく
勇気がないから、自信がないから、周りからどう見られるのか気にしているから…
勇気って何だろう?
恐れない心だろう。
何に恐れている?
それは本当に恐ることなのか?
恐れは何も知らないこと、知らないから予想も予測もできない=無知と言える。
だが自分が知らないということを認識していないことが多い。
そして『知らないから教えて』と言えない。
もちろん、自分が知らないことを、知らないことや認識していないからということもあるが、知らないことを聞くことは悪いことでも、恥ずかしいことでもないのに、知らないことに対する負の認識がそれを阻む。
また誰でも彼でも、教えてくれるわけではない。
自分で経験して初めて気が付くこともある。
そうでないと分からないこともある。
新しい体験をするとき、新しい知識を得るときに恐がることはない。
今、この瞬間それを知ったことを喜ぼう。
知らなかった結果から、知ることが出来る。
だから人は成長する。
成長は変化。
変化は自分が思い描くように変化できる(不可能なこともあるだろうが)。
そのことについて、どれだけ意識しているのだろうか。
(恒例の『意識』しているかという台詞)。
勇気という言葉一つをここまで咀嚼すれば、少しは感じるだろうか。
勇気≒知ることに喜びを覚えること。
自信って何だろう?
自分を信じること。
自ら、人に言うことなのかも。
信じるって何だろう?
そう思っていること。
思い続けていること。
認識し(続け)ていること。
自分という存在をどう認識しているのか?
人には、四つの窓があるそうだ。
『自分が知っている自分』、『他人が知っている自分』、『自分も他人も知っている自分』、『誰も知らない自分』がある。
どの自分も自分なのだから、全て自分ということを認識してしまう。
自分は自分である。
その自分と一生涯一緒にいるのだから、まず好きになる。
嫌いな自分がいることに気が付いて、その自分を認めてあげること。
そこから、好きな自分になっていくだけ。
好き嫌いの両方を認識すると、それは愛なのだ。
認めるということは愛の一つ。
愛という言葉は、本当に様々なことを総称していっている。
愛については割愛する。
自信とは、自分に対する愛。
言葉の一つに、多くの意味が含まれている。
この言葉はこのことだけを指していると言うこともあるが、それ以外も指すことがあるので、一言で伝わることは稀である。
互いに認識し合うことにズレが生じるので、さまざまな言葉を使う。
【愛】という言葉は、その一つであろう。
さて、勇気と自信について書いてきた。
最後の『周りにどう見られるのか気にしている』ことについてだが。
そのことについては、一言で終わらせられる。
むしろ、次の一言以外のことはない。
『どうぞ、お構いなく』である。
他人なんてどうでもいい。
どう見られるのかは、どう言う自分で在りたいのかだけをしっかりやっていくだけ。
それに対して他人が何を言おうとも、『どうぞ、お構いなく』なのである。
自分の人生なんだから、自分が決めて、自分が行動して、自分が責任を持つ。
それだけでなく、決して他人を蔑むこともなく、貶めることもなく、愛を持って接していく。
そういう生き方なのだ。
実は、この『どうぞ、お構いなく』という言葉には、自信も勇気も入っている。
いい言葉を持つということは、人生を豊かにしていく一歩になろう。