在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

どうぞ、お構いなく

勇気がないから、自信がないから、周りからどう見られるのか気にしているから…

 

勇気って何だろう?

恐れない心だろう。

何に恐れている?

それは本当に恐ることなのか?

 

恐れは何も知らないこと、知らないから予想も予測もできない=無知と言える。

だが自分が知らないということを認識していないことが多い。

 

そして『知らないから教えて』と言えない。

もちろん、自分が知らないことを、知らないことや認識していないからということもあるが、知らないことを聞くことは悪いことでも、恥ずかしいことでもないのに、知らないことに対する負の認識がそれを阻む。

また誰でも彼でも、教えてくれるわけではない。

 

自分で経験して初めて気が付くこともある。

そうでないと分からないこともある。

新しい体験をするとき、新しい知識を得るときに恐がることはない。

 

今、この瞬間それを知ったことを喜ぼう。

知らなかった結果から、知ることが出来る。

だから人は成長する。

 

成長は変化。

変化は自分が思い描くように変化できる(不可能なこともあるだろうが)。

そのことについて、どれだけ意識しているのだろうか。

(恒例の『意識』しているかという台詞)。

勇気という言葉一つをここまで咀嚼すれば、少しは感じるだろうか。

勇気≒知ることに喜びを覚えること。

 

自信って何だろう?

自分を信じること。

自ら、人に言うことなのかも。

 

信じるって何だろう?

そう思っていること。

思い続けていること。

認識し(続け)ていること。

自分という存在をどう認識しているのか?

人には、四つの窓があるそうだ。

『自分が知っている自分』、『他人が知っている自分』、『自分も他人も知っている自分』、『誰も知らない自分』がある。

どの自分も自分なのだから、全て自分ということを認識してしまう。

自分は自分である。

その自分と一生涯一緒にいるのだから、まず好きになる。

嫌いな自分がいることに気が付いて、その自分を認めてあげること。

そこから、好きな自分になっていくだけ。

好き嫌いの両方を認識すると、それは愛なのだ。

認めるということは愛の一つ。

愛という言葉は、本当に様々なことを総称していっている。

愛については割愛する。

自信とは、自分に対する愛。

 

言葉の一つに、多くの意味が含まれている。

この言葉はこのことだけを指していると言うこともあるが、それ以外も指すことがあるので、一言で伝わることは稀である。

互いに認識し合うことにズレが生じるので、さまざまな言葉を使う。

 

【愛】という言葉は、その一つであろう。

 

さて、勇気と自信について書いてきた。

最後の『周りにどう見られるのか気にしている』ことについてだが。

 

そのことについては、一言で終わらせられる。

むしろ、次の一言以外のことはない。

 

『どうぞ、お構いなく』である。

他人なんてどうでもいい。

どう見られるのかは、どう言う自分で在りたいのかだけをしっかりやっていくだけ。

それに対して他人が何を言おうとも、『どうぞ、お構いなく』なのである。

自分の人生なんだから、自分が決めて、自分が行動して、自分が責任を持つ。

それだけでなく、決して他人を蔑むこともなく、貶めることもなく、愛を持って接していく。

そういう生き方なのだ。

 

実は、この『どうぞ、お構いなく』という言葉には、自信も勇気も入っている。

いい言葉を持つということは、人生を豊かにしていく一歩になろう。