在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

生き方の違い

ちょうど、久しぶりにブログを書こうとしていた時に、はてなブログ運営さんからブログの振り返りをしてみないかと連絡(メールのお知らせ)があった。

 

1年前、2年前の記事を振り返ってみたら『取り留めのないこと』と『決めること』とあった。

今回、書こうとしていた内容につながっており、そのことから気付いたことは自分自身にとって2月は節目(流れが変わる時期)なのだろうということ。


過去を振り返るのは参照するためではなく、傾向を見出し、これからの傾向を変えるためにした。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、本題に移るとする。

 

この世界が仮想現実世界だとしたら(このことが事実という証明が出来ないため、仮説的になる)、世界を自分自身が創っているのか、誰か(何か)に創られた世界を生きているのかで大きな違いが生まれる。
この大きな違いは知る由もなく、あたかも同じ世界で生きているように感じる。
それは違う世界があることに気付けない(気付かせない)仕組みがあるからだ。
という話しをすれば、陰謀論や作り話などの話しとして処理をする人は、ここから先は読まなくていい。むしろ読まないでほしい。

 

 

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創られた世界ではなく、自分が創っている世界で生きていくには、それなりの手段や手法などが必要で、その選択が非常に重要なこと。

 

乗り物で例えると、創られた世界と創っている世界では【行き先】と【乗っている車種】が違うのだ。
乗り換えるためには、【行き先を決めること】と、【別の車種に移るための券】が必要。

 

【行き先を決める】ということは、自分がどんな人生を送りたいのか?
その送る人生を今の視点や今までの発想で考えるのではなく、全くもって自由な発想で想像すること。

 

想像したら、あとは【券】を手に入れるだけ。
巷でいう“引き寄せの法則”というものだろうか。

 

だが、引き寄せることができる場合と、出来ない場合があるのだ。
そこの違いが生き方の違いに直結している。

 

話しは逸れるが過去記事の『決めること』には『自己責任』ということに対して、実体験を基に強く訴えられていた。
つい、忘れがちになってしまう『自己責任』という言葉。
ブログで『自分で決めること』をしてきていないのではないかと訴えている。
この『自分で決める』ことは、超重要だ。

 

話しを元に戻すと【行き先を決める】ことが『自分で決める』ということなのだ。

 

先述した【全くもって自由な発想】で【行き先を決める】と【乗り換え券】は自ずと手に入る仕組みになっている。
ただ【乗り換え券】は、いつ、どのような形で手に入るのか明示されていないので、『既に』手にしている場合もあれば、『まだ』手にしていない場合もあり、手にしたいと思わない形で『渡される』こともある。


また『偽物(間違った)』の【乗り換え券】もあるので、気を付けておいた方がいいと言っても、手にしてみないと間違っているのかはわからない。

 

今回は人生を乗り物と道に喩えてみたが、何に喩えようと同じことなのだ。

 

 

【決める】、【受け取る(もしくは手に入れる)】という二つのことだけ。

至極、単純明快なこと。


そして、あとは【進む(やる)】だけ。

そのどれもに通ずるのは、自分自身の【想像力】であり、【選択】や【判断】、何より大切なことは【信じる】ことである。

 

ここまで読んで『嘘だろ』って思っている人は、どうぞ嘘と思ってやればいい。
その『嘘』と思っているように、『嘘』になるのだ。

 

最後に好きな言葉を載せておく
『百聞百見は一験に如かず』

私は今の時点で半分、自由になっている。

さて、あなたが自由になれるように、選択するのも自由。