在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

突き付けられるシンカ

水は高いところから低いところへ流れる。

低いところへ流れ、溜まり、澱んでくる。
水以外の大抵のことも同じことが言えよう。

 

流行は『流れ行く』ことで、【流れて来る】ことではない。
(このように当たり前のことを再認識し、概念し直すことは大切なこと)。


『流れて行く』ことのどの段階で自分が出会っているのかが重要になる。

 

情報も同じで、一般(大衆)に情報が出回ったところで出会った場合、もう既に溜まっている状態、もしくは澱んでいる状態。

 

『一般(大衆)に出回っている=メディアが取り上げている』ということで判断できる。

 

たまたま【人手不足を見越した、もしくは現在の人手不足解消の『ロボット化』】という情報をメディアにて見て思った。

 

本当に人手不足なのかが気になるところではあるものの、今回は『ロボット化』が気になった。

 

この『ロボット化』や『AI導入』により、大きな変化が訪れることになる。
映画であるような世界が、もう目の前に来ているのだ。

映画のほとんどは、既にロボットが存在していて、生活の中に溶け込んでいるので、溶け込んでいくことによる出来事は描かれていない。
また、ロボット化後による弊害に対する警告を取り上げているが、それ以前はない。

 

何が起きるのか…
その一つは経済の流れが大きく変わるということ。
その経済の流れが変わることによっての影響。

 

細かいところまでは予想できないが、現在、人が働いていることをロボットが取って替わることになるので、その人たちの労働がなくなる。

 

労働がなくなって良いかと言わば、現在のような経済(資本主義)ではその労働していた人たちは生活ができなくなる。


どうやって収入を得るのか?


ロボットやAIに取って替わられないような職業に就くことや雇用ではない形での収入を得る方法か、経済の仕組みが変わるのを期待するか。

どちらにしろ、難しい問題である。

 

そうならない可能性もあるが、そうなる可能性もある。
予感として、間違いなくそうなる。

 

そうなる前に動いておくこと。
今でも遅いのかも知れないが、気がついた時から何とかできるようにしていくこと。
人、人間として進化していくこと。
その真価が問われている時期に我々は生きていて、まだ人生を味わいきっていない。

 

今、働いている環境の中で感じていることは、おそらくこの人たちはどうしようもないのだろうなと感じる。
変化を付けられるのは、その本人でしかないから。
挨拶もろくにできず、今のやり方は以前と変わらないやり方で、ストレスばかり溜まり、回復する間もない。

 

よく、そんな劣悪な環境で生きていけるなと感じる。

 

他人のことはどうでもいいのだが、そう言う環境から脱出する道、方法、手段などを知らないのだろう。

恐ろしいことだ。

 

生物は淘汰され、今生きている種がある。
それは環境に適応できなかった種が、滅んでいった。
人の場合はどうなるのだろうか?
人類という大きな括りではなく、生活環境などで括られる形で淘汰があるような気がする。

 

よく陰謀論でAIのことや滅亡の話などをするが、どの立場でその情報が流されているのか?
その情報を危機と思わない立場もある。
ロボット、AIという次世代の技術により、今までのような生活ができない層がある。

 

さて、あなたは何をする?