在ることについて

アタマの中にある事柄を吐き出すために書き留めるためのブログ

呟いたまとめ1

最近ブログでは『人生=生きる』ということについて、色々と考察してみたり、実践してみたりして感じていることを書いてきた。

 

ブログに書くときは時間だけでなく、自分自身がアタマの中を整理したい時にも使っているので、文章として書いていることが多いが、そこまでしない感情やふと思うことはtwitterにつぶやいている。

 

今日は、そのまとめを書いておく。

■題するならば「好き、恋、恋愛」について
twitterから)

ーもし、あの時あなたが、あの曲にのって踊らなければ、おそらく意識しなかっただろう
これは勘違いなのかも知れないけれど、それが勘違いではなくなることもあるー

 

ー人を好きになって、恋して、恋愛するって楽しいんだろうなと思いつつも、暇な人がすることだと思ってしまう

恋愛ではなく、人として仲良くするだけでよい

それが異性だろうが、同性だろうが

深くお付き合いすることー

 

人を好きになることが少なくなってきたと感じているが、それは年を取ったことからなのだろうか?

意識しなければ、人を好きになることがなくなってしまったような気がする。

それは、恋愛という形を取った時点で人との付き合い方が違ってくるから、その違った形がどのように自分に影響を与えるのかを考えると、恋愛という形のほとんどがいい影響にならない気がして、止めてしまっている。

 

「好きになるのに理由はない」や「心奪われる」ようなことがない。

なので、人を見るようにしてみたら、「え?」と勘違いするようなことから始めてみた。

とはいえ、知らないことが多すぎるので、知るということから始まる。

でも、知ったからどうこうなるような思いでは恋、恋愛ではないのだろうなと思うからこそ、知らないけど知っていくことも含めて受け止めてみるのがいい。

言葉にはできないが、恋愛関係になったとしてもお互いに成長できると自分が感じていることにウソは付かないでおこう。

 

それが小さな愉しみになり、生活に少しばかり明るい色が映えた。

 

■女性について

ー男にお金を払ってもらって、楽しくしていることに対して金ヅルにしていうのは間違いないと思う

その表現こそ違えど、お金がなくとも付き合うのかというと…どうなんだろうか?

それでも付き合えるとすれば、金ヅルではない

ーそれより男に対して、お金が多い男がいいと答えた外国人女性の方が気持ちがいい

言葉は大切ではあるが、自分のしている行動がどのように表現できるのかをわかっていない人が言葉で体裁を保とうとする

心と頭が分離していくのだ

 

上記の通りなのだが、お金を払ってもらっていることに対して、相手に対してどうしているのかを考えれば自分の行動がどういう表現なのかということが言えるだろう。

それを「言い方が悪い」というのは、言い方を良くしている=体裁を保っているだけだろうということだ。

本当に金ヅルにしていないのであれば、「言い方が悪い」とは言わない。

「お金がなくても、遊ぶ」とか「自分もお金を払っている」ということを言うのではないか?

そんな言葉で自分の行動を綺麗に見せたとしても、隠せないということ。

それならば、潔くお金持ちがいいという方が気持ちがいい。

もしお金持ちとお付き合いし、お金を払ってもらったとしても金ヅルとは思わない。

またお金持ちではない人とお付き合いしたとしても、お金だけではなかったのだなと思うだろう。

 

お金は道具であり、その道具をどう使っているのか、どれだけ持っているのかなど、人の価値として計られる対象である。

だから、素直に言ったほうがいいのだ。

経済力=種として強いとなるから。

強い男が好きっていうのは素直な気持ち。

 

■まとめ

二つのテーマ以外にもあるのだが、それはまたの機会に。

この二つのテーマから、感じるのは何も包み隠さず生きていく(生きている)ことは、気持ちの良いことなのだなと。

自分の気持ちにウソを付かない。

自分の行動にウソを塗らない。

どう思われようが、自分の人生を生きているのは自分だけなのだから。

 

精神的に、自分の人生をしっかりと味わい尽くすように生きること。